【雑談】反キリスト、不法の者、背教、旧約の神の民、新約の神の民、について。 | 恐れずに ただ 信じていなさい(自分の十字架とはキリストの弟子としての歩み)

【雑談】反キリスト、不法の者、背教、旧約の神の民、新約の神の民、について。

・反キリスト

 

反キリストと言えば、

特定個人を想像すると思います。

しかし、

反キリストについては次のように記されています。

 

1ヨハネ 2:22

偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、

だれでありましょう。

御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。

 

1ヨハネ 4:3

イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。

これは、反キリストの霊です。

かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、

今や既に世に来ています。

 

2ヨハネ 4:7

このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。

彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを

公に言い表そうとしません。

こういう者は人を惑わす者、反キリストです。

 

 

と書いてある通りであり、

主イエスがメシアである事を否定する者、
肉体を持って来られた神である事を否定する者、
これらの事を証ししない者は
反キリストです。

さらに、

 

1ヨハネ 2:18

子供たちよ、終わりの時が来ています。

反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、

今や多くの反キリストが現れています。

これによって、終わりの時が来ていると分かります。

 

反キリストは既に、

2000年前から多く現われており、

終わりの時が来ているとヨハネは証ししています。

 

この事から分かるように、

反キリストは特定個人を指す言葉ではありません。

 

反キリストを特定個人を指す言葉として

使うのは偽りであり間違いです。

 

 

・不法の者

 

不法の者については

次のように書いてあります・

 

2テサロニケ 2:3(新共同訳)

だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。

なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、

つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。

 

2テサロニケ 2:3(口語訳)

だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。

まず背教のことが起り、不法の者、

すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

 

2テサロニケ 2:3(新改訳)

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。

なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、

すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。

 

不法の者は、

教会の背教が起こらない限り現われません。

そして、主の日は来ません。

この秩序を正しく理解して下さい。

 

1:反キリスト

2:背教

3:不法の者

4:主の日

 

今、注目すべきは、2の教会の背教です。

既に起こっています。

 

不法の者については、

まだ、多くが隠されています。

 

 

 

 

 

・背教

 

背教とは、教会がキリストに対して反逆する事であり、

外部からの教会に対する事ではありません。

この事もまた、偽教義で、

外部からと教えて、それを患難と教えています。

 

反キリスト、背教、不法の者、主の日については、

ディスペンセーション主義 から来る

惑わしの偽教義があります。

これこそ、背教です。

 

正しく理解し、正しい分別を持ってください。

 

反キリストは既に多く存在し、

教会の背教が起こり、

不法の者が出現します。

それから、

主の日が来ます。

 

以上を正しく理解して下さい。

 

 

以上を踏まえて

さらに次の事を知っておいて下さい。

 

不法の者についていつも取り沙汰されるのは、

 

ギリシャの

アンティオコス4世エピファネスです。

 

確かに彼は、

ダニエル書に書かれている預言された者であり、

神の宮を偶像で汚したのです。

 

しかし、ここで、良く考えて下さい。

神の宮を偶像で汚したのエピファネスだけでしょうか。

他にはいませんか?

 

列王記、歴代誌をお読み下さい。

 

神の宮を汚したのは、

他でもない神の民、ユダ族、その王たちです。

彼らは、神に反逆したのです。

神の言葉に聞き従わず、背教したのです。

世に従い、異邦人の神々を礼拝したのです。

そして、北イスラエル、南ユダは滅んだのです。

最後、ユダヤ人は、神の子イエスまでも、

十字架につけ殺し、徹底的に神に反逆しました。

そして、AD70年に、ユダヤ人は滅んだのです。

 

何より恐ろしい事は、

彼らは、自分達が正しいと信じていた事です。

終わりの日にも、同じ事が起こります。

 

不法の者の雛形は、エピファネスですが、

背教の雛形は、神の民(イスラエル)である事が

以上の事から理解出来る思います。

 

これらを今に置き換えると、

エピファネス=不法の者

イスラエル=クリスチャン

となるのです。

 

 

・旧約の神の民

 

 

旧約の神の民とはイスラエルです。

旧約聖書には、

彼らの背教の歴史、その滅びが記されています。

そして、新約聖書には、

神の子、イエス・キリストへの反逆と

その最後の滅びの預言が記されています。

 

*しかし、彼らの回復は黙示録7章に

  はっきりと記されています。

 

・新約の神の民

 

新約の神の民はクリスチャンです。

そして、

今は存在しない神の神殿は、

神の教会に変わっています。

イエス・キリストの王座は、

神殿ではなく、教会にあります。

聖なる場所とは、教会です。

 

先に記した、旧約の神の民の背教が、

そのまま、新約の神の民に起きると

聖書は預言しています。

 

主イエスは、教会の背教、そして滅びについて

次のように預言されています。

 

 

マタイ 24:2

そこで、イエスは言われた。

「これらすべての物を見ないのか。

はっきり言っておく。

一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

 

ここで主イエスが語られた言葉は、

神殿のみならず、教会の事を指しています。

二重預言です。

 

「一つの石」とは次の事を指します。

 

エフェソ 2:20-21

使徒や預言者という土台の上に建てられています。

そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、

キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、

主における聖なる神殿となります。

 

と書いてある通りです。

聖なる神殿とは、教会の事です。

 

主イエスが預言された、「崩れる石」とは、

かなめ石であるキリストの教え、

教会の土台である、使徒、預言者の教えなのです。

それは、教会から正しい教えが取り除かれる事、

すなわち、教会の崩壊を指す預言なのです。

 

そして、先に記したように、

教会の背教は、教会の内部から、

クリスチャンによって起きるのです。

患難時代の患難とは正にこの事なのです。

正しいクリスチャンへの迫害であり、

助け主である聖霊が教会から追い出される事を

患難と聖書は預言、警告しています。

 

ディスペンセーション主義は、

これらの事を偽りの教義で惑わし、

真理が見えないようにしています。

また、神の民であるはずのクリスチャンも

甘言(患難前携挙)に唆されて、

真理ではなく偽りを信じています。

サタンに騙されたエバのように。

 

これらのクリスチャンは、

救いのパンを食べて満腹した

「イエスのたとえ」を悟る事が許されていない

群衆となっています。

 

マタイ 13:10-11

弟子たちはイエスに近寄って、

なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。

イエスはお答えになった。

あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、

あの人たちには許されていないからである。

 

 

彼らは、これらの御言葉を読んでも理解できません。

これらの事が、クリスチャンではなく、

未信者の事を指していると思い込んでいるからです。

 

○群衆=悟りのないクリスチャン

×群衆=信仰がない未信者

 

マタイ 13:13

だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。

見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。

 

と書いてある通りです。

しかし、

これらを正しく悟るクリスチャンは幸いです。

 

マタイ 13:16

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。

あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。

 

と書いてある通りです。

 

聖書は、神の民、教会について

記されているのに、

多くのクリスチャンは、

先に記した「群衆」を正しく理解出来ないように、

良い事は、クリスチャン、

悪い事は、未信者、異邦人の事だと

勝手に思い込んでいる、

思い込まされているのです。

 

ユダヤ人が患難に遭うなど嘘です。

教会、クリスチャンが患難に遭うのです。

しかもその患難は、背教したクリスチャンが、

正しいクリスチャンを迫害する事なのです。

ユダヤ人がイエス・キリストを

十字架につけて殺したようにです。

 

 

彼らが、今、

イスラエルのパレスチナに対する

70年以上のジェノサイトを見ても、

目が覚めないのであれば、

彼らが、覚める事があるのでしょうか。

 

 

彼らは、神が、惑わしの霊を

送られる事を理解していません。

 


 

以上です。