おそらく、音楽の力だろうと思います。

感覚に訴えかけるものがあり、思考を経由せず直接感覚を通して、リアルに4年前の当時を思い出しました。

思い出したと言うよりも、ここが児童館という事も忘れて、当時にタイムスリップした錯覚に陥りました。

その時に、心の階層ができていることをしみじみ感じたんです。

例えて言うなら、心の中が5階建てのビルのような感じです。

*あくまでイメージです。

現在は5階に住んでいて、これは現実生活の階層です。買い物に行く先々でポイントカードを出したり、冷蔵庫の食材をいかに使い切るか考えたり、楽天とAmazonでどちらがオムツが安いか比較したり…そういった日々の暮らしが意識を占めています。

それに対して、4年前の当時はビルの3階に住んでいたようなもので、長男のNICU治療に関わって、命や生死など、根源的な内容が意識を占めている階層です。自分たちの食事や仕事といった生活面は二の次、三の次です。

5階に住んでいる現在は、3階の暮らしを思い出す事はあっても、エレベーターで直接3階に降りることはありませんでした。

ところが先日は、児童館のミニコンサートの曲がきっかけで、全く予期せず「心のエレベーター」が作動し、直接3階に降りた感じでした。

この階層の、

 

命の重みに圧倒される、厳かで壮大な空気感。

 

「必ず助かる」と「助からないかもしれない」を行き来する、逃げ場のない極限状態の緊迫感。


仕事や生活なんてどうでもいい…命の危機を前に、それ以外の全てが吹き飛ぶ感覚。

……

 

……

3階を正確に描写することは、今はまだ辛くてできませんが、そんな心の階層を実感しました。


ビルの場合、どの階も「現在、同時」にあるわけで、5階にいる時だって3階フロアは当然存在しています。

子どもを亡くした事は、時が経つにつれ「過去」になるのではなく、心に階層ができていって、3階から5階に移り住むような感じだな、と思いました。



長文を最後まで読んで下さって、ありがとうございました。