旅行に出かけていた、先週末のことです。

お金について考えさせられる出来事がありました。

その日は旅の最終日で、朝ホテルをチェックアウトして、行きたかったコーヒーの美味しいカフェでモーニングを食べ、帰路につく予定でした。

ところが、天気は生憎の雨。

ホテルからカフェまでは850m。

晴れていれば問題なく歩ける距離ですが、雨で足元が悪い中、傘をさしながら、私はキャリーケースやバッグを持ち、夫は次男をエルゴに入れて歩くとなると、エネルギー消耗度が跳ね上がります。

最初は、「この近距離でタクシー代600円を払うのは勿体無い」と思いました。ですが、旅の最終日で疲れていたのもあり、結局はタクシーを呼ぶことに。

その結果は、大大大正解でした。

クーラーの入った涼しい車内で一息ついていたら、あっという間にカフェに到着。快適だったおかげで気分が跳ね上がったうえに、ゆったりとカフェ時間を過ごすことができました。

もし、600円を節約しようと歩いて向かっていたら、移動時間分はカフェの滞在時間が短くなっていたし、雨移動の疲れやイライラから、カフェにいる間の気分も違っただろうと思います。

これだけの些細な出来事なんですが、お金について、深く考えさせられています。

例えば、「夢だった◯◯を手に入れるために、◯◯円を貯める」といった明確な目的があって、そのために600円を節約するなら素晴らしいと思います。

ですが私には、ただ漠然と、やみくもに、「お金は使わない方が良い、貯めておいた方が良い」と思っているフシがあります。今回それに気づかされました…)

つまりは、「お金を使わないこと、貯めておくこと」が目的になっているなと。

そうなると、行動選択の基準が、

・物を買う時、お金が安いか、高いか(安いなら買う、高いなら買わない)
・何かをする時、その行動はお金に換算して得か、損か(得をするならやる、損をするならやらない)

…になってしまいます。それの何が問題かと言うと、

「えっと、私はお金を節約するために生きてるんだっけ…??」

というツッコミが入ってしまうことです(笑)

以前の記事で、人生の何に価値を置いているか書きましたが、

人生の優先順位 | 40代の妊活を丁寧に語りたい (ameblo.jp)

これを言い換えるなら、「私と家族がより健康に、一層楽しく生きる」目的の達成手段として、お金があるわけです。

この目的が叶うのであれば、金額は関係ありません。いくらであっても、そこにこそお金を払う価値があります。

今回のタクシー代600円は、その意味で正しかったし、やはり大正解だったと言えます。

例えば、逆のパターンで、

「本当は、傘をさしてのんびり道中を楽しみたかったけど、たまたま初乗り運賃半額キャンペーンをやっていて、300円だったからタクシーに乗った」

…というような状況であれば、どんなにお得でも徒歩を選ぼうと思いました。

お金について、目的と手段を履き違えていたかもなぁ、と考えさせられています。