自分の生い立ちを再考していて、初めての気づきに至ったことが幾つかあります。

……

一つは、現在の私の生活習慣(ストレスでつい食べ物に走ってしまう)や性格(ベースが悲観的)は、過酷なネグレクト環境で育った必然の結果であり、「仕方のないことだ」と心から自分を許せたこと。

今までは、「このままではいけない、何とかして変わりたい」と思い、それが前向きだと捉えていました。でも実際は、自己批判や自己否定に等しかった気がします。それに対して、今回の「仕方ないよ」は自己肯定な感じです。「誰だってこの生い立ちで生きればこうなるはず」「頑張ってきたからこそ、この程度で済んでるのかも」という思いすら出てきています。

……

もう一つは、そのような過酷な環境で育ったにも関わらず、夫と結婚できたことと、長男&次男を授かったことに、深い深い感謝の気持ちが湧いてきたこと。

これまでも幾度となく感謝は感じてきましたが、今回は、一段深い奥底から込み上げています。

色んなものが欠落した歪(いびつ)な人間である私が、こんなに素晴らしい人と結婚できた上に、夫もまた私を選び、信頼し、頼ってくれている。そして、子どものいない人生を送るはずだったのが、急展開して二人の子どもを授かり、子どもと一緒に生きている。

以前は、

「家族=実質誰もいない。誰も助けてくれない。味方がいない」

だったのが、今は、

「家族=夫、長男、次男。いつも皆が助け、味方でいてくれる。家族4人が一緒で、私一人じゃない」

…に変わったことは、自分の生い立ちを考えれば、宝くじ一等に当たるよりも稀な幸運だと感じました。

……

そんな新たな気づきを経てみると、

「今の人生が、私の人生史上ベストじゃん」

「欠落や歪さがあるのは当然で、まだこの程度で済んで良かった」

「持病もあるけど、まだこの程度で済んで良かった」

 

…という、今・ここの有難みを噛みしめます。

 

さらには、

 

「これからは、次男と次に産まれる子を育てるために、健康で元気いっぱいな母親でありたい」

 

…と、今後の生き方がシンプル&明確化しました。

 

何だかんだ言って、「母親」として生きたいんだなぁと、自分の本音を掴んだような気がします。