「40代で出産して、子育てするのは大変だよ?」

…と、40代妊活のリスクやデメリットを強調されることが、時々あります。

こういう会話の際によく感じるのは、

「今、私の話ではなくて、相手の人生の話をしているんだなぁ

…ということです。

 

なぜなら、相手は、実際の私を見ていない気がするからです。

 

会話で相手の話を理解しようとする時は、「自分だったらどうか?」「自分はどう思うか?」など、自分を基準にして考えたり共感したりするので、確かに無理もない部分はあります。

 

でも、こういう会話では、「そもそも、私の事を理解しようというスタンスではないんだな」と感じることが多いです。

 

仮に、反対意見であったとしても、私の事を理解しようというスタンスが少しでも見えれば、その意見は温かみがあります。

 

逆に賛成意見であっても、そのスタンスがなければ冷たく感じます。

40代妊活の話に戻ると…
 

リスクやデメリットは、妊活する当人が一番調べて熟知していることが殆どです。思春期の女子ならともかく、40代で、「リスクやデメリットを知らない」「熟考していない」人はあまりいない気がします。少なくとも、最初にそこを確認しない時点で、私を見ていない/理解しようとしていない事が何となく分かります。

加えて、なぜ私が40代妊活をするに至っているか、それについて私がどう思っているか、といった点を無視していることからも、やはり私の話をしているのではないと分かります。

それから、こういう会話では、相手が感情的なトーンになっている事が多いです。


相手は、私の話をきっかけに賦活された、自身の感情や価値観を表明したくてその発言をしているのだろうと感じます。

おそらく、その時の私は、「40代で妊活している女性」という抽象的な存在になっているのでしょう。対面で話していても、目線が合いません。


そのため、「今、私は相手の人生の話を聞いているんだな」と思ってその場にいます。

それはそれで、相手の事を理解できるので悪いことではありませんが、コミュニケーションが一方向で、相手が私を見ていないのは、結構寂しいものがあります。