40代の妊活で、周りの妊娠話や子育て話を聞きながら、なかなか妊娠に至らない不安と焦りに呑まれているとき。

 

また、私が経験した流産や我が子との死別。それ以外にも、妊娠・出産にまつわって筆舌に尽くしがたいショックと悲しみの当事者になったとき。

 

妊活ジャンルのブログで、同じような経験をしている当事者がいないか探すのは、私だけではないと思います。

 

同じような経験者がいると分かった時、まずは仲間がいる(ことで孤独が和らぐ)安心感を感じます。その次に、経験談を読んで自分の経験と比較し、相手を羨ましがったり、自分の方がまだマシな部分もあると思ったりするのではないでしょうか(少なくとも私はそうでした)。

 

でも、それは他の場面で見られるような、優劣をつけて相手を見下したり、自分が優越感を抱いたりするような比較ではないと思うんです。

 

あくまで個人的な考えですが、子どもに関する不安や悲しみの渦中にいる時、その深さを他者と比べずにいられる人なんていないんじゃないかと思います。

 

それは、圧倒的過ぎて全貌を測れない「不安」や「悲しみ」というものを(このあっさりした綺麗な名称すら適切ではないのですが)、何とか対象化し、全貌を把握して、心に収めようと足掻きもがくプロセスに必然的に伴う作業だと思うんです。他者と比較して、自分の不安や悲しみを相対化することでしか把握できない部分があるように思います。

 

言い換えれば、不安や悲しみの深さを比べながらでしか、進めない時があると思っています。そして、そういった比較は、当事者同士にしかできない支え合いの一つのように感じます。

 

ある当事者が妊活ジャンルのブログを書き、別の当事者がそれを読む交流は、ピアサポートの場で皆が体験を語り、分かち合う温かい交流に通じる気がします。