“会津若松での出会い④ ”
「雪深い里山・伝統息づく大内宿 を訪ねる」の続きです。
こちらでお伺いしたお話がやはり印象的でしたので・・・
遅くなりましたが続きをUPします。
(長文ですがお付き合い頂けましたら幸いです)
“そば処 こめや
”さんで真心こもったお蕎麦を頂いたあと、
お店のご主人、吉村徳治さんに伺ったお話です。
もともとは大内宿保存会の事務局などを
役場職員として携わっていたという吉村さん。
役場職員だったのに・・・なぜ“そば処 こめや”を
役場職員として仕事をしていく中で、
茅葺屋根を葺く職人がどんどん高齢化してしまって、
行政ではどうにもならなくなっていることに直面されたと。
そこで・・・なんとびっくり
「じゃあ!俺がやる!!っていうことで、
45歳のときに辞表を出したんです。」って・・・
笑顔でお話してくださっていますが・・・
それってものすごいことなんじゃないの~!?
ひょえ~
ここから吉村さんの第2の人生が始まるわけです。
茅葺屋根の職人になるべく親方に弟子入りし・・・
ここでさらにびっくり!!
本当は大好きなお酒を、修行中は一滴も飲まないと決めたんですって
修行して9年経過したある日の仕事中・・・
親方との会話を話してくださいました。
親方:「どうして吉村は酒を飲まないんだ?」
吉村さん:「俺は一人前になるまでは、酒は一滴も飲まないと決めていたんです。」
親方:「よしっ!!今日からお前、酒飲め!!」
・・・吉村さん、親方に一人前として認められたってことですね
9年ですよ!!9年!!
その間、お酒を断っていることを誰にも言わずに~!?
もしかしたら、もっと早い段階で一人前と認められていたんじゃないの~??
っと思わずにはいられない私は、
吉村さんの格好よさに尊敬するばかりでした。
そして・・・
お蕎麦屋さんで生活を支えながら、吉村さんの次なる目標は・・・
親方の手元を見て覚えてきた技術を、
青年たちにきちんと引き継いでいかなければならないと・・・
なんと
廃校になった小学校の中に、
屋根を葺く練習場を作ってしまったと。
その小学校がこちら
その練習は「結の会」として、
今でも毎週水曜日に行われているとのことで・・・
その現場を見せて頂くことに
私:「え~!!なにこれ~!!!教室いっぱいに屋根がっ!!!
えっ?っていうか・・・これは出来上がったら、
どうやって教室から出すんですか?」
吉村さん:「いやいや、これは練習のためだけだから・・・(笑)」
私:「あっ☆そういうことですね。(≧▽≦)」
・・・っと目の前にいきなり現れた大きな屋根に圧倒されておりました。
そして、練習場となった教室にもこだわりが
みんな初心者から頑張って学んでいくんだよ!という意味を込めて・・・
1.2年生の教室を利用していらっしゃるんです。
吉村さんの温かいこだわりを感じますね~
早速私も体験させてもらいました~
がんばるぞ~о(ж>▽<)y ☆
・・・ってこの棒が重い・・・
本来は、屋根の上に登って作業するわけですから大変だ~
屋根の勾配を滑らかにするために、この道具で手作業で突いていくんですね~!!
東日本大震災の時のお話をお伺いすると・・・
「とにかくすごい揺れだった。
でもこの茅葺屋根の家のすごいところは、
揺れてもまた元に戻るという復元性があるんですよ。
こういった匠の技を含めて、
日本が培ってきたものを
次の世代にしっかりと残していきたい!!」っと。
そして・・・満面の笑顔で・・・「ちょっと待ってて!」っと・・・
お孫さんを連れてきてくださいました
流音(るおん)君、9ヶ月ですって。
ん~!!可愛い~
目に入れても痛くない!っと仰る吉村さんは、
お孫さんのことを「爺ちゃんの仲間だもんなっ!」っと
印象的な一言でした
息子さんが産まれたときは、
「育てなくちゃ!色々教えなくちゃ!」という思い。
お孫さんが産まれた時は
「可愛がらなくちゃ!一緒に遊ばなくちゃ!」
という思いだったそうです。
そして、お孫さんのために、
「元気に頑張って稼がなくちゃ!!」
というパワーになっていますと。
流音くんの可愛い笑顔と、
まっすぐにお爺ちゃんを見つめる大きな瞳は、
「お爺ちゃん、元気で頑張って!
仲間として、いつかは茅葺屋根を僕が守るよ!」
・・・そんな風に言っているかのように感じました。
吉村さん!流音君!
必ずまた会いに行きます
ありがとうございました