ちょっと用事で近くまで行ったついでに、ぐるっとパスで入場できる神奈川県立歴史博物館にも入ってみました。
今は律令制の頃の神奈川県の遺跡発掘品を展示していました。
写真撮影可
学校の校外学習にぴったり〜な感じの展示でした。
とはいえ、序盤の展示物、いきなり古墳時代のガラス(あまり透明ではないけれど)のビーズが多数連ねられたもので、こんな装飾品(神事に使ったのかもですけど)がこんな精度で作られるなんて、関東ってやっぱり文化が花開いてたのね~となりました。
「あ、そうなの?!」と思ったのは、政治体制の移り変わりの説明のところ。
大化の改新あたりをきっかけに、いったん各地の人口や作物の採れ高をまとめて調査・把握していたものが、荘園制に移行するに従って何処で何がどれだけ取れるやら〜とグダグダになってしまったらしいこと。
なんていうんでしょう?
システムって強力に推し進める人が現れるとかっちりしたものが現れたりするけれど、結局時が経つとグダグダになっちゃうものなのね~って。
なんとなく、日本という国は違うと思ってたんです。
漠然と、荘園制になっても各荘園の石高みたいなものは中央政府(のようなもの)が把握していたような気がしてました。
うん、平安絵巻の朝廷の絵とか思い浮かべると、きっちり数字を確認→足し合わせて総量を把握する人って、あんまり居なさそう。
なんてことをつらつら考えるような展示でした。
…地味?
あ!でもでも!律令の世、確かに花はありました。
仏寺の瓦の蓮華模様ね
こちらはアラベスクのバリエーションですよね
プラハでもロマネスク様式、教会内が花モチーフいっぱいで
大きい建造物の五重塔の代わりに使ったらしいですけど。
いい。
そんな感じで、意外と楽しんだ校外学習的展示なのでした。
もうひとつ展示があって、長尾村というところの醤油作ったり質屋やったりしてた大きな家のご主人の幕末の日記。
もちろん私は読めないんですけど、そこはちゃんとポイントの箇所の抜書きと解説がついてまして。
ペリー来航に始まり、日々の社会の出来事を簡潔に記しつつ、彰義隊を騙る輩が寄付をねだりに来て…みたいな市井の生活との関わりか垣間見えたりするのが、読み物として読みやすく興味深い日記らしく、なんか凄いなーと思ったのでした。
わざわざは入る機会のなさそうな催しも、こうやって見てみると楽しい~と思った今日でした。
中のセリエのシール(可愛いでしょ?!)に罪はないのです。