気になってしまう事があるので情報を見てみた。

どうしてこの人の音には

地底を這いずり回りながらも、、

地べたでいるような力強いものがあるのか。

泥臭さがあるのはなぜ?なのか。

素行の悪さに通じる匂いみたいなもの。

それでいて、心優しい部分が元来からあり、人を助けたい気持ちがある。

見捨てられてる人を放っておけない。

表面の形とは真逆の要素を感じ、話しやすい雰囲気があるのはなぜ?


聖佳幼稚園に入園し、この3年間に英語教育を受けた[6]。1971年4月、横須賀市立田戸小学校入学[6]。少年時代は肥満から来る劣等感のため、内気で大人しい子供であった。小学生の頃、太っている生徒は休み時間に校庭を走らされるという管理教育的体罰があり、その中にhideも入っていた。この頃、深夜ラジオでロックに出会い、「ロックミュージシャンは痩せてなくては」と、ダイエットした。学習塾や習いごとに忙しく通っていた。小学校の6年間は剣道をやっていた[6]。祖父の「松本家から医者を出せ」という命令もあり、卒業文集では「医者になって見離された患者さんを助けてあげたい」と綴った。小学4年時、アメリカへの集団でのホームステイも経験している[6]。


中学生時代[7]、友人がきっかけでロックに興味を持ち、祖母にギブソン製エレクトリック・ギターを買ってもらいバンドを組むも、活動はしていなかった。


hideが初めて手にしたギターは新古品のギブソンのレスポール(ナチュラルカラーのレスポールデラックスモデル)であった。祖母に無理だと思って頼んでおいたら、在日米軍横須賀基地内に出入りが出来たのでフリーマーケットで買ってきてくれたという。当時は現在以上に高級品でロック好きには憧れの的であったために、隣の学校や、「友達の友達」という人までが自宅にギターを見に来るという状況になった。ピックアップにP90サイズのミニハムバッカーが搭載されていたが、通常サイズのハムバッカーに換装するためにhideは自ら彫刻刀でピックアップキャビティを彫るなど、改造を加えて愛用していた。だがそのギターは、PATA曰く「金がなかった頃に売っちゃたのかもしれない」ため、記念すべきhideの最初のギターの行方は誰にもわからない。


美術教師からはいつも「おい、そこの太った奴」呼ばわりされるハラスメントを受けた[8]。また、体育を苦手としていたが、体育以外の成績はクラスの上位であった[8]。試験直前に人知れず猛勉強していたのである[8]。ギターに夢中になり高校受験の勉強はやっていられなかったため、推薦入学ができる逗子開成高校へ進学した

[8]。


高校が「エレキ禁止」であったためにバンドを組めずにいたが、当時不良少年の遊び場であった横須賀のどぶ板通りに通うようになった[7]。どぶ板通りはアルコール、ドラッグ、喧嘩、何でもありの街であった[9]。そこで出会った友人らとX加入以前に活動していた唯一のバンド、「サーベルタイガー」を組んで活動する[8]。レコード購入代やどぶ板通りの遊興代のために昼食代を使い込んだことで体重が減り、それを機に食事制限を推進して理想とするロックスター体型へと急速に変化した[8]。奇抜な格好で暴れるステージ上では狂気であったが[注 1]、危険なパフォーマンスとは裏腹にステージを降りたら気遣いをして優しかったという[7]。


高校卒業後に、ハリウッドビューティ専門学校へと進み、1984年3月に卒業。卒業制作は着物やマネキンを使用したパフォーマンス豊かな作品により優秀賞を受賞した[9]。1984年4月に同校専門課程へ進学、翌1985年3月に卒業[6]。美容師免許を取得し、実際に祖母の美容院で働いてもいた[8]。「おばあちゃん子」であったhideは美容院を営んでいた祖母からの影響を少

なからず受けている。Xデビュー当初は祖母のサリーを借りてステージ衣装として使用したりしていた。若作りでお洒落な人物であったために、後のファッションなどの基盤となった。「サーベルタイガー」を解散した時には、全ての音楽活動からは足を洗って美容師として生きていこうと決心した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Hide


どうもこのあたりの情報が感じていた事に重なる。

途中に素行がよくない人達とのつながりがあったよう。

このときの経験が、どうも音に影響を与えているようだ。

でも、人は、悪の要素がある事で表現に深みや重さが増す事があるので、この人には必要になっていたのだろうと思う。

悲しい、苦しい、辛い経験があるからこそ、その領域でいて苦しんでる人達にも音が届いていくようになるわけで。

おばあちゃんの優しさに育まれて育った記憶、経験は人を救う気持ちや思いやりにもつながる。

祖父母の影響は、人格にも影響を与える。

世代が異なる人との接触は、考え方に広がりを与える。

外国の文化、人に触れ会話する事もそうなる。

だからたくさんの人に伝わっていくようになってたんだなと思った。

時代が変わってもこの人が作った音は、十分に伝わっていく力がある。

今頃、わかる自分がいるわけですが、

私は、不良が大嫌いだったので、興味がなかった。

なぜか私は、不良から興味を持たれるので、できるだけ離れていた。

全く違う領域の人達と交流していたから、この人に興味を持つ事はなかった。

しかし、音を聴いてみると、わかる部分があるので、どうしてそうなるのかを知りたくなった。


おばあちゃん子だったわけだ。

外見から来る差別、いじめを小さい頃に受けて

悩まされた事とかも同じく。

私も太っていたから、散々いじめられたが、

痩せたら周りが何もいわなくなった。

小学生時代、一つ上の先輩♂️からいじめられ続けたが

あまりにも理不尽だと思ったので、掃除道具部屋でいじめを受けた時、私は立ち上がった。

箒を持ち、先輩に、なぜこんなことをずっとするのか

理由を言って下さいと、抗議した。

かなり大きい声で言ったので先輩は、ひるんだ。

そしてその日を境に、私をいじめる事はなくなった。

ずっと理不尽な事をされ続けて耐える日々だったが、相手は自分がしている事がわからないからやり続ける。

言ってダメなら校長先生に言ってみようと思っていたし、それでもダメなら、その人の親に言おうと思っていた。今なら即、警察に行く。

いじめる人は、自分より弱い人を対象にする。

その弱いと思っていた相手が反撃してきたら、、

今思うと、その先輩は、精神的に悩みがあったかもしれない。しかし、悩みがあるから、ストレス解消の為に全く関係がない人をいじめるのは、自分が弱いからだ。

自分で自分の悩みに向き合わずに、人に押し付けストレスを解消すると、根本的には解消はしないままでいる。

小さい頃に経験した事は、人格形成に影響を与える。

いじめをした人や暴言を言った人は、忘れているが、された側は、ずっと忘れていない。

それが怨みに変わっていくか、そんな人にはなりたくはないと思うかで、自分の生き方が変わる。


音が気になってしまったのは、同じような経験があったからなんだなとわかった。

こういう感じで自分が気になったものを調べていくと

自分を客観的に見ていく事になる。


この人の音で

また考える時間をもらって

かなりスッキリしました。

くだらない事で、長期間悩んでいた自分を見る事になった。

ありがとうございました。


https://youtu.be/WU-o2I23Qy4?si=XF-X0jT7k_2kw-u7