大事な話

https://youtu.be/I3cvF8FOhAc?si=ntj7Sm442_vWNf0p

外国にツアー旅行で行った時、

片田舎の宿で朝、にわとりの鳴き声で

目覚めた。

久しぶりに聴いたにわとりの鳴き声。

思わず窓を開けて外を見てみると、草原が広がっていて

小さな小屋があり、そこからにわとりの鳴き声が

していた。

私が育った場所も、周りには山、田んぼ、川しかなく

鶏舎が横にある環境で、各家でにわとりを飼っていた。

コケコッコ~の鳴き声は、山迄、響いていた。

懐かしい記憶が、この国には、まだ、ある。

気持ち良い朝の風とにわとりの声。

こういう目覚めを毎日していたら、心も健康になるだろうなと心底思ったわけです。

都会暮らしは、私には無理。どこかに自然がある場所が必要。

以前、住んでいた場所は、数分で海、川、山があり

公園、神社、お寺もあったので、毎日癒しの空間がありました。

この場所に住んでいたから、過酷なストレスによる

精神疾患にならずに済んでいた事を痛切に感じる。

場所からのエネルギーによる心の癒し。

そこから引っ越さないとならなくなって、今の場所で生活をする事になってから、大変な出来事ばかり経験した。

場所により、集まり住む人も変わるし、考え方も異なる事を痛切に感じた。

私は、小さい頃から住む環境、出会う人に恵まれていたから、こんなにひどい事を平気でする人がいる事を

知らないで済んでいた。

ネットから知り合い会話した人でも、そのような人物がいて、長い間、精神的な苦行をしているようになってしまった。

自分は、何年、こんな苦行をし続けないとならないのかと思った時に、身体に不調が来た。

もう少しであの世に行っていた。

無理して頑張り過ぎてしまい、そうなってしまった。

命に関わるので、もう無理はできない。


自問自答をし、瞑想をし、自分を客観視して

考え続けてきた。

もちろん自分の問題に向きあい、

過去のトラウマ解消にも自力で立ち向かい

先祖からの考え方迄見て来ました。

自分でやれる事は、やったと思う。

でもね、自分自身は、努力して変わって行ける可能性は

あっても、問題となっている相手は、全く

変わっていかないのです。 

この事実を認めるしかない事に

数年前、気づいたのでした。

脳の問題。


私は、私に精神被害を与え続けた人が

全く反省しない、改善していかない、謝罪もない事が

どうしてなのかを考え続けました。

どうしようもない事を知りました。


世の中には、そのような人間がいる。

という事を私は知ってほしいと思い

日記に書きました。


いつか変わってくれる、いつかわかってくれると

何十年、思い伝えても

わからない人がいる事を知れば

自分の生きる時間、人生を無駄にしなくて済みます。

おかしい事件が起きた時、それを知る機会になる。

わからない人の周りには、わからない人が来ており

その人達が巻き起こす行いにより、地道、真面目、

親切心がある人が、犠牲になっていく事も

私は知ってしまいました。


おかしい事をする、何度も失敗して

懲りない人をよく観察して、

その人間の特徴を知り、被害に合わないようにする事を

私は考えてきました。


そのような人と、どうして接点が出来てしまうのか

そのような人が、私に興味を持ち、助けを求めてくるのか

私は、自分なりに考えました。


誰も相手にしてくれないからです。


私は、自然ばかりの田舎に住んで生きる事を

してきたから、

その人達は、私に癒しを求めてくる。

しかし、何か改善されたりする事はなくて

ただ癒しを求める事だけをしているから

自分自身の放置してきた問題は、考えてないので

また、同じ事を繰り返すようになる。


私にも限界があるので

休みたいと思いました。


結局、自分を救えるのは

自分しかないのです。

それに気づかなければなりません。

そうしないと、また、同じ事が起きて

時間経過と共に

だんだん酷い事が、起きてきて

再起不能になってしまうからです。


映画を見て、考え方が変わりました。

また、生き物を育て、生き物から

私は、教えてもらった。

お年寄り、祖父母からも教わった。

両親からも、少し教わったが、毎日仕事に追われる

両親には甘える事はできなかったが

その甘える事ができなかった事を、誰かで埋めてほしいとは、私は思った事はない。

それ以上の愛情を、祖父母から受けていたから。


おじいちゃん、おばあちゃんの役割は人間形成に

大変重要である事を私は知っている。