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ふしぎ発見」黒柳徹子 声詰まらせ惜別メッセージ「番組とはさようならしても歴史の勉強を」

コメント1108件 3/30(土) 21:59配信


黒柳徹子


 女優の黒柳徹子(90)が、30日放送のTBS系紀行クイズ番組「世界ふしぎ発見!レギュラー最終回3時間スペシャル!」(後7・00)に出演し、番組への惜別メッセージを語った。


【写真あり】こだわりの「江戸末期の振袖」姿で「ふしぎ発見」最終回に出演した黒柳徹子(インスタから)


 黒柳は1986年4月19日放送の第1回放送からレギュラー解答者として出演。特番も含めて1722回、驚異の皆勤賞だった。


 全問正解のパーフェクトは何と245回。スタジオには、パーフェクトの際にもらえるクリスタルヒトシ君が245個、ズラリと飾られた。通算正解率は58・5%、トップ賞は853回で、ほぼ2回に1回は獲得していたという。


 番組の最後に感想を求められた黒柳は「もう、申し上げることがないくらい、皆さんがおっしゃってくださったんですけど」と前置き。「とにかく私は歴史を勉強したいと思って、歴史を勉強しないと死ねないなくらいに思っていたんですけど、それを勉強できる番組だということで『この世界ふしぎ発見!』という番組からお話があった時に本当にうれしく思いました」と、声を詰まらせながら感謝した。


 番組は38年の歴史にピリオドを打った。「それから38年、そんなに長い間、びっくりするほど長い間、番組と関わることができて、本当にうれしいと思っています」。しみじみ語りつつ、「この番組とはさようならをしても、自分でいろいろ歴史の勉強、世界のことに目を配って自分なりに勉強していこうと思っています」と、今後も学ぶことへの探究心を忘れないことを誓った。


 「私はこの番組が大好きでした。この番組がもうこれからなくなってしまうと、本当に寂しいです。でもいろんな思い出がたくさんあるので、それを大事にこれから生きていこうと思っています。本当に皆様、ありがとうございました」。最後は笑顔で締めくくった。


 番組では、これまで170の国・地域を、ミステリーハンターと呼ばれるリポーターが旅してきた。最終回は、番組でこれまで取材した合計4万時間、日数にすると1667時間という映像資料をひもとき、視聴者リクエストや二度と見ることのできない映像など、さまざまなベストワン映像を紹介した。番組のレギュラー放送は終わるが、今後は不定期で特番が放送される。


 黒柳のコメント全文は以下の通り。


 もう、申し上げることがないくらい、皆さんおっしゃってくださったんですけど、とにかく私は歴史を勉強したいと思って、歴史を勉強しないと死ねないなくらいに思っていたんですけど、それを勉強できる番組だということで『この世界ふしぎ発見!』という番組からお話があった時に本当にうれしく思いました。


 それから38年、そんなに長い間、びっくりするほど長い間、番組と関わることができて、本当にうれしいと思っています。この番組とはさようならをしても、自分でいろいろ歴史の勉強、世界のことに目を配って自分なりに勉強していこうと思っています。私はこの番組が大好きでした。この番組がもうこれからなくなってしまうと、本当に寂しいです。でもいろんな思い出がたくさんあるので、それを大事にこれから生きていこうと思っています。本当に皆様、ありがとうございました。


エジプトのピラミッド、イタリアのポンペイ、

ギリシャのパルテノン神殿 トルコのモスク、カッパドキアの放送は、必ず見ていました。

家族そろって見た番組だった。

家族がバラバラになって暮らしていても

それぞれが見ていた番組。

長い歴史が詰まっている。

いつもあったものが、無くなる寂しさ。

いつもあるから、また今度見れば良いかと思い

見ない時もあった。

昨晩は、黒柳さんがパンダを抱いている姿を見て

失われた家族の団欒、思い出の時間を感じた。


今は、個室にテレビがある時代。

テレビは、見なくなりネットの時代。


草野さんも黒柳さんも、いつだってお元気

日々の精進、鍛練の成果を感じました。

大変貴重な番組でした。

38年の間、ありがとうございました。


この番組を見ていたから

エジプトに行く事ができた。

ルクソールのエジプトの人達は、心温かい人が

多くいた。

宿泊先での夕食時、たくさんのご馳走が並ぶ部屋の

横にある金網の塀越しに見た現地の子供の様子、

今でも覚えている。

ボロボロの服を着て裸足で地面を歩いていた。

おそらくケーキも食べた事はないだろう。

舟で川を渡る時、コーラを注文する事になった。

現地の子供がコーラを運ぶと、少なからずお金が入るからだ。

子供が川の中に入って持って来てくれた。

その子供達もボロボロの服だった。

しかし、みんな笑顔だった。

服は、ボロボロでも、心は汚れていない綺麗だ。

日本もそうだったはずなのに、

あの子供達は、ケーキをいつか食べれただろうか。


当時、塀越しにケーキをあげようと考えたが

塀のむこうには、毎日、ご馳走がある事を知れば

この子供達は、苦しい思いをするかもしれないと思った。


知らないほうが幸せではないだろうかと

思った事を今でも覚えている。

自分にも知らないほうが幸せだった事が

あったから。


田舎の平和な暮らし

朝、にわとりの鳴き声で目が覚めて

雀達が鳴き始める。

草が生える土の道、周りには田んぼに山、川。

住んでいる人は、みんな慎ましやかに

穏やかに暮らしていた。

ルクソールの人も、そんな人達が多くいた。


ロバがたくさんの薪を背負わされて

歩いていた。

太陽光発電による電気自動車が

いつかロバの代わりに薪を運ぶと

良いのだが。


もう少し軽い荷物にしてあげてほしいと

思った。

ロバの目は、かぎりなく優しかった。

早く休ませてあげて、おいしいご飯を

食べさせてほしいと願いながら

王家の谷に移動した。


あのロバの目は

私の心に残っている。

助けてあげたい気持ちになった。