今の中学生は「知らなくてもいい情報」が多すぎて生きづらいと思う。

 

 

誰が何を食べたとか…

 

 

 

 

誰と誰が遊んだとか…

 

 

 

 

どこに行ったとか…

 

 

 

 

中学生の頃は、自分という人間が何者であるかを悩みながら模索する時期。

 

そんな不安定で多感な時に、次から次へと入ってくる「周囲の楽しそうで幸せそうで充実している(かのように見える)情報」

 

おばさんの私ですら たまに「グフッ」っとダメージを受けることがあるのだから、そういった情報に中学生の心が惑わされるのは当然。

 

 

 

 

私が昭和生まれ(1982年)で唯一良かったと思えることは、自分が思春期真っ只中だった頃にはまだ「スマホ・SNSがなかったこと」

 

自分という人間の輪郭がある程度出来上がってから(二十歳前後)SNSというものが普及し始めたので、そういった「知らなくてもいい情報」に心乱されることはほとんどありませんでした。

 

それに、もし中学生の頃にSNSがあったら、ネット上に大量の黒歴史(痛々しいポエムなど)を残してしまっていたはず。

 

 

私が中学生の頃は「ポケベル」…

1つでも数字を打ち間違えるともはや意味不明な怪文書に。でも今思うと、中学生にとってはそのくらいの情報量が平和でちょうど良かった。
 

 

 

 

 

今の中学生を見ていると、溢れかえる「どうでもいい情報」「自分にとって本当は必要のない情報」に心が溺れてしまうんじゃないかと心配になります。

 

 

 

「いやいや、そういうお前はモノ(ほぼガラクタ)に溺れとるがな」「はやく片付けろ」ってな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学生って難しい。

 

 

 

 

部屋で溺れている理由↓