~十月を扱った短編小説【神無月】宮部みゆき~

 

~深夜の江戸を舞台に、岡っ引きと押し込み犯、~

二人の男の心情を、描いた切なく、温かい短編小説です。~

 

~【神無月】では、不思議なことに~

~個人名がほとんどでてきません~

 

~登場人物は、岡っ引きと、飲み屋の親父(店主)と、男~

~かすかに明かされるのは、ある男が心の中で呼びかける

 (おたよ)という娘の名と、住まいである

 長屋の木札に記された名前のみ~

 

~ラストに「神様は出雲の国に去っている」~

~日本全土にいる八百万の神々が、~

~出雲の国に集結するとされるのが十月~

~心うたれるラストは、神様が留守しているとき。~

~小豆を袂に入れて、押し込みをする男の心情。~

 

~私は、神様は、押し込みの現場を見みなかったことにしてくれると、

~思わずにはいられない気持ちになりました~

 

~遣り切れなく、身につまされるラストシ-ンです~

~宮部 みゆき 凄い、作家です 凄すぎます~

 

 

《あらすじ》

夜も更けて、ほの暗い居酒屋の片隅に岡っ引きが一人飴色の醤油樽に

腰をすえ、店主を相手に酒を飲んでいる。

岡っ引きは三十代後半、ようやく親分と呼ばれることが板に着いてきたという風情だ。

 

店主の方は、とうに六十歳を過ぎた小柄な老人で、

頭のうえにのっている(まげ)は金糸色、背中も随分と丸くなっている。

 

客が、十人も入れば満杯という店だが、この時刻になるとさすがに

もう、誰もいない。

 

二ヵ月に一度、岡っ引きが店の隅のこの樽に、腰を落ちつけに来る夜は

店主は彼一人の、長い酒に付き合っている。

それも、何年も続いてきた。

 

二人はあまり話をしなかった。

 

岡っ引きは、黙々と酒を、飲み

店主は、静かに洗いものや明日の仕込みにかかっている。

 

 

「今年も、もう神無月になったなぁ」

岡っ引きが、ぼそりと言い出した。

 

店主が、

「今日は、仏滅ですね。今年もあったのですかい」

岡っ引きが首を、ふった。

「いや、今は、起こってない、いや、まだ起こっていない

今は、まだ」

 

夜も更けて、九尺二軒の裏長屋のほの暗い片隅に

男が一人下等の明かりを頼りに縫物をしている。

 

古びて、ささくれだった畳の上に清潔なござに

大きな体が正座して色とりどりの、端切れをちりばめていた。

 

男の直ぐ隣では、八つになったちいさな娘が一人

夜具にくるまって小さな寝息をたてている。

 

小さな端切れの袋が出来上がると、小豆の入った小皿に

頑丈そうな大きな手で、小豆をすくいお手玉を作っていく。

小さな可愛い、お手玉が五つ縫い上がった。

 

 

赤ん坊の時から体が弱く、ほとんど寝たきりで外も出ることはなかった。

おとちゃんのお手玉は、娘には唯一の楽しみであった。

 

掛かり付けの医師は親切だが、温厚な顔を曇らせ

「この子は、大人にはなれまい。いくつまで育つかは確と、保証出来ない。

薬でなだめることが出来ても、体を芯から直すことは出来ないのだ。」

と、気の毒そうに男に告げた。

 

男は、

「育ててみないと分かりません」

と答えました。

男は、

「女房の命をもらって生まれてきたのだから

幾ら、お金がどんなにかかっても、構わない。高い薬も使ってください

先生、出来る限りのことをしてやってください」

 

八年前、娘の命をこの世につなぎとめておくには、

当たり前の稼ぎで働く以上の金がかかると分かった時、

男は心に決めた。

本当なら、人様には迷惑をかけたくなかったが娘の命がかかっている。

 

岡っ引きは、店主に押し込みについて話し出す。

 

その押し込みがあったのは、丁度五年前の神無月

確か十日頃の夜のことだった。

盗みに入った先は、質屋で、ことは起こった。

 

住み込みの小僧一人と、質屋夫婦が縛られていただけですんでいた。

賊は体の大きな男一人、黒い小袖に、股引、

頭からスッポリと黒い覆面を被って家の勝手も良く知っていた。

 

決して人を傷つけず、盗る金も十両丁度。

無理押しもしなかった。

 

「岡っ引きは、素人のお努めだ。

だその押し込みは、(かたぎ)の人間ではないかと」

店主に話しだす。

「何かに困っていたんではないか、これきりでやらないんじゃないかと」

岡っ引きは、ただ、

その時たった一つだけ心に引っかかっていたことがある。

 

手口が鮮やかで、すいすいと家に入って勝手が分かっていることだ。

色々と調べたが、下手人はあがらなかった。

 

それから、三年立ってからのことだ。

三年後のことだった。

その時は、蕎麦屋では八両盗んだ。

その時も、神無月のときだった。

その時も、三年前と同じ手口だった、

図体の大きな男、黒い小袖にに、股引、頭からスッポリ黒い覆面を被って

手口も同じで勝手もよく知っていた。

 

去年、金貸しの家で男が初めて人を刺してしまった。

金貸しの家で、息子が飛び掛かってきたのだ。

押し込みは、その人間を刃物で傷つけてしまった。

 

その時、押し込みは泡をくって逃げ出した。

手掛かりは、押し込みが逃げた時、現場に落ちていた小豆一粒のみ。

 

店主が、

「親分今度、危(あや)めるようなことになったら

川と同じで皆流れてる。同じ所でとどまってはいられない。

大きなお金を取ろとするかもしれない。」

 

つまり、八年前から一年ごとに神無月に事件は起こる。

 

 

岡っ引きは、店主に

「大工ではないかと思う。

大工なら、ひと様の家の作りを知っているはずだ。」

だが、大工ではなかった。

 

岡っ引きが、

「なぜ、神無月なんだろう」

「どうして、毎年、神無月なんだろう」

「なぜ神無月がいいんだろう」

 

岡っ引きは、

「俺には、分からない。」

 

少し間をおいて店主が

「神様が留守の月だ。神様が見てない月だ。」

岡っ引きはポカンと口を開いた、それからどっと笑い出した。

 

「何がなんでも、あいつを引き戻さなければ

ならない。だが、手がかりがない。サッパリだ」

岡っ引きは、考えこんでしまった。

 

店主は

「一つ抜けてますよ。親分。

ひと様の家の作りを良く知っているのは、畳屋は、どうですか。」

 

岡っ引きは目を見開いた

「お金のある家は暮れになると、畳替えをするでしょう。

表替えだけでもするでしょう。

渡職人なら、北に行ったり、南に行ったりあちらこちらに行くでしょう。

調べてみてはどうですかね。」

 

岡っ引きはまともに店主の目を見据えた。

そしてグイっと立ちあがった。

 

岡っ引きは

「ありがとうよ。間に合うといいがナ。」

 

八年前、男は、娘の命を助けるには手段は、選べないと思った。

押し込みは、今度は、大きなお金でいこうと決めた。

そして当分押し込みを、するのはやめようと決めた。

 

男は、着替えを、終え、黒い頭巾を懐に入れると

壁に貼ってある八幡様の暦に目をあてた。

 

 

それにしても(おたよ)、おめえは運が悪かった。

どうして神無月なんかにうまれたんだろう

神無月がどういう月か、おめえは知ってるかい?

この国の神様がみんなして、出雲へ行ってしまわれる

月なんだよ。

神様が留守にしちまう月なんだ。

だからおめえは、

こわれものの身体を持つて生まれてきちまった。

おめえのおっかさんも、

おめえと入れ代わりに死んでしまった。

みんな神様が留守だったからだ。

ちゃんとみていてくださらなかったせいだ。

(おたよ)、夜明け前には、おとちゃんは必ず戻ってくるからな。

男は、(おたよ)のために作った、残りのお手玉の数粒の小豆を、

お守り代わりに袂に入れる。

 

闇夜に出かける男に神様はいない。

月末には、神様が戻って来るから(おたよ)赤まんまで祝おう。

(おたよ)行ってくるぞ。

その時にだけ声をだして呟き家を出た。

夜陰にまぎれて男は外に出た。

長屋の木戸を抜けるとき、ずと、頭を頭上に向けてみた。

彼の名前を書き記した木札が細い月の明かりに

照らされている。

 

畳職、一蔵。

男は夜道を急いで行く。

年に一度のお努めのために小豆を数粒袂に入れて。

岡っ引は夜道を急いでいく。

顔も知らず影さえみせない不思議な押し込みの

そでを少しでも早くとらえるために―。

夜も更けて男が二人夜道を駆けて行く。

すれ違うことのない二人の背中を

それぞれの背負った月が照らしている。

そして夜の深いところで病弱の娘がやすらかな

眠りの中で夢をみている。

神様は出雲の国に去っている。

 

宮部 みゆき

(ミヤベ ミユキ)

作家。

1960年12月28日生まれ

東京都出身。

法律事務所等に勤務の後、

87年に「我らが隣人の犯罪」が、

オール讀物推理小説新人賞を受賞したことを

きっかけに文壇デビュ-。

時代劇から、SF、フアンタジ-からホラ-テイストまで

さまざまなジヤンネルの作品をかき分ける筆力を持つ。

時代をシリアスに捉えながらも人間の心の中の優しさを

描き、年齢を問わず高い人気を誇る。

無類のゲーム好き。