~世界で初めて、全身麻酔を調合し、手術に使用したとして世界的に名を知られる

華岡青洲。~

 

~その成功の陰には、失明しながらも夫の実験台として麻酔を受ける献身的な妻と

妻に息子を取られて競って息子の実験台となる母という、二人の女の物語。~

 

~日陰となり夫を支えた、二人の女の生涯に焦点を当てた作品です。~

 

 

~嫁と姑の問題は、人種や国籍など関係なくどこにでも存在するものと思います。

(嫁と姑) 表面上は、仲良く内面はお互いに、どろどろしていていると思います。

嫉妬・憎しみ・複雑な感情の思いなど永遠のテ-マだと思います。

人間はの心は、はかり知れないと思いました。~

 

 

~《あらすじ》~

加恵は八歳のときはじめて於継(おつぎ)を見ました。

話をきかせてくれた入母の民に早速、ねだって隣村の平山へ出かけたのは夏で

めざす家の前庭には雑草が生い繁り、気違い茄子の白い花々が暑苦しい

緑の中で、妙に冴え冴えと浮かんで見えました。

それは古ぼけた家の軒から

ふと、外へ出て来た於継の色白な横顔と、あまりにも似ていました。

 

 

加恵が乳母に聞かされた話というのは、紀州の地主松本家の娘、於継が

田舎の貧乏医者華岡家に嫁いだ経緯です。
 

於継は幼いころから才色兼備で評判だったのですが、結婚適齢期にひどい

皮膚病に冒されてしまい、どの医者からもさじを投げられてしまいました。

ところが、話を聞きつけた田舎医者の直道が松本家にやって来て、必ず治してみせるから

その暁には於継を妻に欲しいと言います。
 

藁にもすがる思いだった松本家は、直道の交換条件を受け入れ、
その結果、病気は完治し、於継は華岡家に嫁入りすることになりました。

 

幼い加恵でさえ、初めて於継の姿をみた時はその美しさに見とれるほどでした。

しかも美しいだけでなく賢い人だと誰もが褒めていると聞き、加恵の心の中には
於継に対する信仰にも似た、あこがれの気持ちが育っていきました。

 

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二十一歳の加恵の元に、突然於継が加恵の家に姿を現しました。

加恵を華岡家の長男(雲平)の嫁に欲しいと言うのです。

加恵の父(佐次兵衛)は、家柄が釣り合わないと考えすぐ断るつもりでした。
 

そんな父(佐次兵衛)に於継は、医術を志す者の伴侶として加恵のような
武家の娘こそ、ふさわしいなどと欲しい理由をとうとうと語るのでした。
 

加恵本人といえば、あこがれの人、
於継のいる華岡家に嫁げるのであれば、これ以上のことはないと思っていました。
 

加恵の頭には、夫となる(雲平)のことなどなかったのです。

加恵の夫となる(雲平)は京都へ進学したばかりで、三年たたないと戻って来ないのでした。
 

天命二年の秋、加恵は華岡家に嫁ぎ、花婿不在の婚礼が執り行われました。

 

於継は加恵にこのうえなく優しく、実の母親以上だと感じていました。

加恵が嫁いできてから、三年目、冬も終わり間近の頃でした。

加恵が二十四歳、二つ年上で二十六歳の雲平が帰郷しました。

雲平は、老いてきた父親に、京都で学んだ新しい知識やまだ誰も成し遂げていない

麻酔薬の完成を、自分が成し遂げたいと語りました。

 

雲平の話が終わると、於継は

「旅の疲れにはぐっすり眠るのが一番の薬やしてよし、今夜は一人で、ゆっくりおやすみ」

と、わざわざ、一人で眠るようにと言います。

 

 

夜のしじまの中から、於継の押さえた笑い声が、
冷たい床の上に正座した加恵の耳まで伝わってきました。
子供の帰ったのが嬉しくって、抑制がきかなくなっている
母親の喜びには違いなかったけれども、加恵にはそれが酷くみだりがましいものに聞こえました。
 

加恵の心の中には思いがけない烈しさで、於継に対する憎悪が生まれたのはこの時であります。

その理由は、この時の加恵には分かりませんでした。

 

 

加恵は女が家に入ること、
血縁という壁の中に入ることの難しさを思い知らされました。

望まれた嫁と望んだ姑との綺麗ごとの間柄は、

雲平の出現によって終わったのを加恵は感じました。

 

直道はそれから半年後に亡くなりました

二年後、加恵は身ごもりました。

 

 

一方、夫の雲平は今や弟子も増え青洲先生と呼ばれるようになりました。

その後、加恵は女の子を出産し(小弁)と名付けましたが、
於継に「次は男の子を産んでくれ」と言われ、加恵の喜ぶ気持ちは押しつぶされました。

 

小弁が四歳になった夏、雲平の妹(於勝)が乳癌にかかり手遅れでした。

そんな、ある日麻酔薬の実験に使った猫が初めて良好な反応をしめしました。
 

雲平がこの先、この薬を人間に使えるものにするためには、どうすればよいか
思い悩んでいました。

それから、数日後、於継は息子に自分を実験台にして欲しいと言い出します。

 

 

「雲平さんの研究に、人間で試すことだけが残ってあるものを、身近にいて気付かないのは阿保だけや。

私は雲平さんを産んだ親ですよってに、雲平さんの欲しいもの、やりたいことは誰にましてはっきり分かるのやしてよし」

この於継の言葉に、当てつけがましさを見て取った加恵は、自分こそ試してくれと激しく主張します。
 

しかし、於継も引きません。

「それこそとんでもないことやしてよし。大事な嫁にもしものことがあっては、私が世間に顔向けできません。

私に気をかねて、そんなことは口出しせずと、あなたは大事な命を守って、家の栄えを見ておいなされ」
 

「何を仰言います。世間に顔向けできんのは、嫁の私のことやしてよし。大事の姑に薬を飲ませて、

どないして私が安閑と暮らせますやら。このお役はどないなことがあっても私にやらせて頂きますよし」

 

自分の身を犠牲にすることによって、嫁と姑で雲平を奪い争うのに耐えきれなくなった雲平は、

「二人にやってもらおう」と言い放ちます。

 

於継に飲ませたのは、焼酎に少しの薬を混ぜただけで、酔って寝ているようなものだと聞かされます。

そして、ついに於継に使ったものよりはるかに強い薬で加恵は眠ることになりました。

 

 

加恵が目をさましたのは三日目のことです。

それから、しばらくたって、夏風邪が原因で一人娘の小弁が急死してしまいました。

 

失意の加恵は再び自らを実験台に試して欲しいと夫に懇願します。

青洲は以前、強い薬を加恵に試したことを後悔しており躊躇しましたが、結局これまでの

研究成果である『通仙散』と名付けた薬を試すことにします。

 

 

加恵は目覚めますが、目に激痛が走ると訴えます。

於継は更に、この光栄ある犠牲を自分ではなく、加恵が一心に引き受けたことに愕然とします。

 

於継は、ある冬の夜、亡くなりました。

 

この時加恵は十数年ぶりに身ごもっていました。

やがて加恵は長男を出産しました。

 

それから数年後、青洲の妹の小陸の首筋に血瘤ができました。

それは、不治の病でした。
 

盲目になっていた加恵が、動けなくなっていた小陸の世話を手探りでしている時

小陸が、加恵と於継の確執に気付いていたと言うのです。

何と恐ろしい間柄だろうと思っていた、と言うのです。
 

加恵は心の中でぎくりとするものがありましたが、慌てて

「お母はんも私を、お気に召さなかったことも多かったし私も意地をはったこともあった。
でも今は、母はんを賢い方だ。立派な方だと心底思っています。」

小陸は、ぎらぎらと光る目で加恵の閉じられた瞼を見詰めていたが、

「そう思ってなさるのは、加恵さんが勝つたからやわ」
 

加恵は一舜、全身が強い光線にさし貫かれたと感じました。

加恵には、この死の床にいる小陸の鋭い判断を、拒む力はありませんでした。

 

 

青洲が、世界最初の全身麻酔による手術で不治の病とされていた乳癌の治療に成功した時

既に小陸は亡くなっていました。

 

この手術の成功で、華岡流医術は全国に知れ渡り、門弟もたちまち増えていきました。

そして華岡青洲の母と妻の献身が、彼の成功の礎(いしずえ)を築いたという物語が、生まれ育っていたのでした。

 

加恵は六十八歳で亡くなりましたが、その墓は背にしてる於継の墓より一回り以上大きいものです。

しかし、この二人の女たちの墓石を二つ重ねても及ばないのは、それから六年後に没した花岡青洲の墓である。

 

この墓石の真正面に立つと、すぐ後に順次にならんでいる
加恵の墓石も、於継の墓石も視界から消えてしまう。それほど大きい。

 

《私の感想》

若い頃は、嫁の立場で物事を考えていましたが、年と共に姑の気持ちも分かるように

なりました。

青洲は、嫁・姑が麻酔術の実験台になることを、《どう思っていたのだろうか》と、思ってしまいました。

二人の犠牲を、なくしては麻酔術も成功を成し遂げることは出来ないと思いました。
 

世界で初めての全身麻酔『通仙散』(つうせんさん)を作り出し、麻酔による乳癌の手術に成功。

有吉佐和子【華岡青洲の妻】
やわらかな紀州言葉でほんのりとしましたが、内容はドロドロした秘められた
女の嫉妬の深さ、奥深い心の怖さ、など読みごたえがありました。

 

有吉佐和子(1931~1984)

昭和59年8月30日に、自宅で急性心不全のため53歳で死去