この記事のつづき。
仙台旅行でライブの前に行った場所。
震災遺構・仙台市立荒浜小学校です。
東日本大震災の津波で被害に遭いながらも
避難した生徒や住民320人全員の命を守った小学校。
http://miyaumi.info/blog/post17.htmlその建物が被災当時の姿で保存。
避難した屋上にも実際にあがることができました。
見渡すと、すぐ浜が見えました。
荒浜小学校は4階建ての校舎の2階までが
津波が押し寄せたようです。
校舎の2階で曲がったベランダや、2階廊下のキャビネットは、津波が押し寄せた高さまでサビの跡形がついていました。
そして、天井が剥がれた教室。
私も、当時を振り返りました。
停電し、一時的な断水でしたが、
心細い思いをした一夜でした。
荒浜には、地震発生から70分で津波が襲ったそう。
止まった時計は、地震発生時刻ではなく
津波到達時刻。
石像もなぎ倒す、津波。
二の宮金次郎は離れた場所で発見されたそうです。
「荒浜の声」を読んでいたんだけれど
その中で、旦那さまを失った方のメッセージが
目に止まりました。
「ずっと、横に居てくれた主人がもういません」
こんなメッセージだったと思います。
最後まで読めませんでした。
東日本大震災から10年以上。
当時の記憶は蘇るけれど
我が家は、小4年生の長女は産まれる前でした。
だから、震災の様子は
口でしか伝えられずにいました。
こうやって、その当時の言葉・建物を
遺してくれるおかげで、
次の世代へ知恵として、引き継がれる。
印象的だったフレーズがあります。
映像の中で出てきたと思うのですが、
荒浜小学校の避難訓練で
震災の少し前に、避難場所を
校庭→屋上に変えた。
実際、東日本大震災のときも
私は窓口で仕事していたんですが
大きな揺れが発生して、
所属長の「避難だ!」の声に
職場のみんなが
普段通りの避難訓練でやっている
避難経路のとおり避難しました。
(当たり前なんだけど、
パニックも起こりうるであろう非常事態に、
スムーズに移動できたことにすごく安心した)
おかげで、
慌てず外まで移動できました。
避難することを
頭で考えず、身体で覚えている。
咄嗟な動きは、日頃の訓練の積み重ね。
日頃の訓練が、命を救う。
自然は美しいけれど、
怖さも併せ持っている。
この海は、散歩によく行く近所のところ。
日々の波の高さも日によって、全然違うなぁと感じている。
荒浜地区の津波のときの
最高到達は10メートル超え。
小学校の到達の波の高さは、約4.5メール。
震災の経験を、伝えてくれる
貴重な場所でした。
荒浜小学校には、たくさんのメッセージが寄せられていました。
忘れられない、東日本大震災です。