大事なものが無くなれば楽になれるわけないのに 頭に流れた音楽は | haru7789のブログ

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昨年12月に 幸せのあの運命の中古戸建てと出会ってから

暫く聴いていなかった 私の大好きなアーテイストさんの「熊木杏里」の「モウイチド

頭に流れ、少し口ずさんでいました

 

この曲は、私が2011年頃に初めて買った熊木さんのアルバム「ひとヒナタ」

の収録曲の一番最初の曲です。

正直言ってアルバムの中ではそこまで好きと言うほどではないけど

出だしから 明るい感じですごく希望に溢れた感じの歌詞と曲調は好きでした。

 

私が熊木さんを知ったのは2009年 bayfmの競馬のCMソングの「雨が空からはなれたら」

を聴いたことで いつも良い曲だな~と思っていて

それでアルバムを買いました。

 

と前置きが長くなりましたが

「モウイチド」はそのタイトル通り、もう一度、頑張ってみようとか

そんな感じの曲です。

 

私がレオハウスの担当が酷くて疲れ果てた時に

家を建てる事が怖くなり、中古戸建てと思いSUUMOで探して

すぐに見つけた昨年の運命の中古戸建てを見つけてから「モウイチド」が

頭に流れて少し口ずさみました。

しばらく忘れていたのに 何でだろうと思いました。

 

 

 

そして、ブログタイトルの話にやっと繋がるのですが

今年の体調を悪くしたり しんどくなった中古戸建ての時は

「モウイチド」の歌詞の中に「余計なものがなくなれば楽になれるよ~きっと~♪」

というフレーズがあるのですが、

 

何故か「大事なものがなくなれば楽になれるよ~」

 

と頭に流れていました。しかも結構長い事 しょっちゅう頭に流れていました。

 

その時は 既に1回目の内覧後で、父と中古戸建てか注文かで迷い始めた時でした。

 

頭の中に本当の歌詞は「余計なものがなくなれば」なのに

「大事なものがなくなれば楽になれるよ~」 と流れてきてしまうので

 

何故、大事なものがなくなれば楽になれるの? おかしいじゃん!

 

と思いながら それでも何故か 頭の中に流れてくるのは

「大事なものがなくなれば楽になれるよ~」 なのです。

 

この大事な物って言うのは たぶん 注文住宅を建てる事なんだろうなと言う事は

薄々感じてはいました、

 

何故、大事な土地に注文住宅を建てたいのに

それが無くなれば楽になれるなんて、おかしいです。

 

けど、それは 中古戸建てにいけない理由も注文住宅を建てたい気持ちがあるから

経済の事、注文だと昨年体調を崩したタクトホームで

また体調を崩しかねないのに 打ち合わせを重ねて

いろいろ細かい事を決めないといけない

レオハウスで細か事を決める大変さは知っていました。

(けど、それは運命の中古戸建てを潜在意識で知っていたので

決める事が怖かった)

 

 

それにお隣さんが太陽光発電付ける事を検討していると言うし・・・

注文住宅もそれなりに躊躇してしまう、問題を孕んでいました

(だけど、今はそんなこと考えず注文にすれば良かったと思いますが)

 

 

今年は昨年ほど、タクトホームさんでも体調を崩さないけど

昨年の事がトラウマ的になり、すぐに契約!となりませんでした

更に中古戸建てを内覧後、体調を崩してしまい、それが

タクトホームの担当者さんと合わないのか、×E不動産が原因なのかも見分けがつきませんでした。

でも、内覧後に体調を崩したので 確実に×E不動産だったと思います・・

 

なのに、その時は タクトホームの方が体調を崩すとか思ってて

(担当者さんはとても良い人です)

 

 

注文住宅を諦めることが出来さえすれば

中古戸建てにいけて そっちのが早くて簡単で楽になれると思っていたので

無意識に「大事なものがなくなれば楽になれるよ~」が流れてきたのです。

 

 

けど、大事なものを無くして楽になれる事なんてありません。

だって本当は大事なものが 私を家族を楽にしてくれるのですから

 

 

それなのに、昨年1年間 ハウスメーカーとの事で体調を崩しまくり

上手く進められなかった不安で自信が無くなり

私にとっての大事なものがなくなれば 中古戸建てを買えるから そうすれば

楽になれる~なんて 短絡的に思ってしまいました。

 

 

けど、ほんとに 大事なものは 絶対になくしてはいけません

自然消滅なら良いけど、自らの選択で 捨てるような事をしてはいけません。

 

 

本当の歌詞は「余計なものがなくなれば楽になれるよ~きっと~♪」

です。

 

この時 余計なものは 今回の中古戸建てであって×E不動産に他なりませんでした。

私は大事なものを捨てて 余計なものをくっつけてしまいました。

 

 

けど、もう本来は多分 余計なもの側の中古戸建てを買ってしまったので

もう 余計なもの側を愛していかないといけません。

 

 

けど、本当には愛があったのは あの土地と注文住宅でした。

 

余計なものは愛がない対象物です。

 

大事なものは 愛がそこにあるものです。

 

 

何か、大事な選択をする時に 大事なのは どちらに愛があるかどうか?

なんですね。

 

私が愛していたのは どうしようもなくあの土地と あの町でした。

 

 

中古戸建てがある、あの分譲住宅地の町をまだ完全に受け入れる事も

愛すことも出来ません。

 

まるで 大好きで愛していた婚約者と別れさせられて

全然好きでもない、波長も合わない 価値観も合わない人と無理やり

結婚させられてしまい、これからずっとその好きでもない人と生活を

共にしないといけないような心境です。

 

けど、あの土地より、もっと愛していたのは

 

昨年の運命の中古戸建てです。

 

時々、思い出すたびに 家なのに何故か 会いたくなるのです。

今でも昨年の幸せの中古戸建てを思い出すと幸せな気持ちになります

(でももう人の物で切ないのでなるべく思い出さないようにしている)

 

そして、土地を失った今、あの土地と注文住宅に会いたくなります。

 

 

けど、その会いたい運命の中古戸建ては 別の人の物に

土地は売られてしまいました。

 

あの土地に別の誰かが 家を建てると思うと、まだ胸がギューッとなります。

 

父も辛いと言っています。

 

 

大事なものがなくなっても 楽になんてなりません。

大事な事は その大事なものを 人生をかけてどれほど守っていけるのか

大事にし続けられるかです。

 

それなのに、私は一時的に 早く楽になりたくて

熊木さんの歌詞が 自然と無意識に変えてしまいました。

 

 

大事な運命の中古戸建てと 大事な土地と注文住宅を建てて住む未来を失いました

 

けど、まだ 大事なものは あります

家族だったり、仕事だったり それを大事に守っていかないと

 

そしていつか、願わくば 今回買った中古戸建てもその 大事にしたい家に

加わる日が来れば良いなと思います。