大阪 松原
心も体もゆるめて
隠れた自分を引き出す
ありのままに寄り添う
末端循環セラピー
にじのわ🌈
お仕事、家事、育児、介護を がんばっているママ
更年期や毎年の花粉症が不安なかたにも
冷え性・更年期症状・腰痛・肩こりなどにお悩みの女性に
足と手と頭から自律神経を緩め、心も体も楽になる
足もみ・ハンドケア・ハーブ蒸しを提供しています。
自宅サロンだけでなく、出張もしていますので
お気軽にご相談ください
前回の内容
ホームヘルパーの資格をとってから、約10年越しでやっと、長女が2歳になって、
週1回でホームヘルパーさんのお仕事を始めました。
緊張しい、人見知り全開で、ドッキドキ。
「わぁ~どーしよーどーしよー」でしたが、
「うん。私ペースで上手くしゃべれなくても、お話を聴くのは一生懸命しよー
それに、私がガチガチやったら利用者さんもリラックスできへんやん。力抜いて~力抜いて~」を心で思いながら、初訪問の日になりました。
初めて担当させていただいた方は、お孫さんが私と同じぐらいの歳で、ひ孫ちゃんも同じぐらいの年齢だったので、
時々、私にお孫さんの姿を重ねられておられるようでした。
そのせいか、お話ししながら涙を流されることが度々あって、何だか「泣かないでください。元気出してください」とも言えず
オロオロしながら、ただただ聴いていました。
それを先輩ヘルパーさんに話したら
「それは、泣きたいんやと思うよ。○○さんに聴いてほしいんやと思うから聴いてあげるだけでいいと思う」
それを聞いてからは、「うん。うん。」とお話し終わるまで聴かせてもらっていました。
不思議とお話し終わると、一時泣かれると、
元の笑顔に戻られるのを見て、自分の気持ちを出すって大切なんだなぁ、
自分1人では、どうにもとまらなく湧き出てくる気持ちを出せる場所があると楽になるんだなぁでした。
認知症の方が興奮されたり、現実とは違うご自分の世界で過ごされていて、訪問時に困るときには、
時間が決まっているので焦るんですけど、ギリギリまで根気よく寄り添う、お話を聴いていると、
落ち着かれたり、こちらに合わせてくださったりすると、ホント「あ~良かった~。ほんとうは○○したかったのに、
ありがとうございますです。」になります。
お一人暮らしのある方は、ヘルパーさんごとにお願いすることが決まっていて、料理をお願いする人、お買い物をお願いする人。
その中で、私はゆっくりお話しする人のようでした。(ちゃんと、お買い物や外出の介助もしてましたよ)
いろんなお家に伺って、生活をされるうえで、身体的なお手伝い・家事のお手伝いは必要不可欠なのですが、
会話や、コミュニケーションを、とっても求められているように感じました。
私が基本的に会話のキャッチボールが、ゆ~っくりなので、時間が許す限りの「ゆ~っくり聴きながらの、ゆ~っくりお話」は、
いつも、私の方が癒されていました。
初めての訪問介護が始まってから、3年ぐらいたった時に、3人目を授かり、また一旦お仕事はお休み。🏡
3人の子育て中に、今となってはその話どこ行ったの?なのですが、
訪問介護がホームヘルパー2級だけでは出来なくなるという噂が出て、それは困~ると思って、
急いで「介護福祉士」の資格をとる勉強を始めたのです。
上の子たちは、幼稚園・小学校。
次男はまだ2歳で、小さかったので「施設実習」の間がバタバタでした。
一般フロアー、デイサービス、認知症フロアーと実習に入らせてもらいました。
その中で、認知症フロアーに行くと、そこだけすごく時間の流れがゆっくりしているように感じて、
利用者の皆さんと一緒に座ってる空間が、「あっ、なんかここ居心地ええわぁ」と感じちゃいました。
その半年後に、無事に「介護福祉士」の試験に合格し、「また、ヘルパーさんのお仕事したい」
と思ってた時に、お家で大事件が起きたのです。
それは、子供たちからのSOSであり、私へのメッセージでもありました。
最初は、「ママなのに、自分のしたいこと優先しすぎたせいや~」
「もーとりかえしつけへん」「なんとかしなー」って、
自分を責めて責めて、焦ってジタバタして、ドーンと落ち込んで、とうとうまた動けなくなりました。
「このままじゃ、あかーん」
「子供の事で何かある度に、なんでこんなんなるの?」が知りたくて、
ちょっと怖くてお腹の中に隠していたものを、出していく作業が始まりました。
最初は、怖くてしまっていたので、話すだけで(*´Д`)ハァハァ息切れ状態。
だんだん見えてきたのは、ある時から「自分は人から好かれないし、人を好きになれない」と勝手にきめちゃってたこと。
なので、自分が好きじゃないし、常にこれでいいの?これでいいの?今の自分じゃだめだぁ、と自信もない。
でも、心のどっかで人と関わりたい、でも怖いの両方がゴチャゴチャになって、ややこしくなちゃってる。
お仕事をする事で、自分の存在価値みたいなのを保っていたみたいです。
それを子供達が「何かできる、何か持ってるとかじゃなく、ママが必要」「ママの居場所はここ」と教えてくれたように思いました。
「あぁ、何にも出来なくてもいいんやぁ。居てるだけで、いいんやぁ。」を子供達が教えてくれました。
やっと何かある度に、ドーンと落ち込む理由が分かったのだけど、次は「だから?」「そっから、どうしたらいいの?」
1人の時には、何だか生きづらいけど怖いから見ないよーに、しーとこっと、してたものをちゃんと出してきてあげる時期がきた、
30代後半。
自分が気持ちを長い間、押し込めてきた為にややこしくなっちゃってたを知って、余計に前よりももっと
「1人1人に寄り添っていきたい」「安心して話せる、場所になりたい・作りたい」、なぜだかわからないけど「おじいちゃん、おばあちゃんとかかわりたい」を思った、30代後半でした。
その頃から、私が子供を育てるやなくて、私が子供に育てられてるんやわぁ、を思い始めました。
「なんでか分かったけど、そっからどーしたらいいん」を紐解いていく出会いは、私のすぐそばにありました。
その続きは次回に。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。