せめぎあい | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

この世は

「愛したいひと」と

「愛されたいひと」の

せめぎあい




「愛したいひと」は
自分の思う愛のカタチで愛したい

「愛されたいひと」は
自分の思う愛のカタチで愛されたい

それぞれの思う愛のカタチが
合うと結ばれやすいのだけれど

全く異なるものとなると
すれ違う
せめぎあう


思いはそれぞれ

ひとの数だけ思いがある

あげたい愛を
受け取ってもらえないと
苦しいし

もらいたい愛を
差し出してもらえないと
苦しい

思う通りにいかないと苦しい

目の前のひとが
家族だったり
好きなひとだとなおさら






ちょっと
待ったーーーー!




この世のすべては愛なのでしょう?

それなのにどういうこと?









愛のカタチの枠組みを
わたしたちは
勝手に作り上げているみたい

あげたい愛のカタチが見えたなら
その先のひとのありのままを見よう

そのひとは
すでに愛のひと



もらいたい愛のカタチが見えたなら
自分のありのままを見よう

わたしも
すでに愛のひと



この世は
すでに愛の世界

そのひとに
愛が足りないと思うのならば
そう思っているわたしの中に愛を見つける

わたしに
愛が足りないと思うのならば
それは果たして本当か?と疑ってみる

この愛を受け止めて
この愛がほしい
の枠を
外してゆこう

だって
もう
愛の中にいるし
みんな愛そのものなのだから


要らないなら要らないと言う

要らないと言われたら
わたしはどうして
その愛のカタチを渡そうとしたのか
考えてみる

嫌なら嫌と言う

嫌だと言われたら
わたしと相手の違いを受け止める

合うのならば喜んで
大いに喜んで


もう
せめぎあわなくてもいいね


みんな
愛したくて
愛されたい


今朝の倉敷の空

ただいるだけで
愛せている

ただいるだけで
愛されている


あなたの愛のカタチは
どんな風?

わたしの愛のカタチは
こんな感じなんだよ






そうやって
広がる
愛の世界


せめぎあうよりも
認めあう世界