まわりのせい | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

わたしは

ずーーーっと

まわりのせい

ひとのせいにして生きてきた



そして

とうとう
わたしは
合気道のせいにした

自分のことがわからないようにさせたのも
自分の怒りに蓋をしたのも
自分の感覚を信じられなくさせたのも

合気道をしているからかもしれない
先生という立場だからかもしれない


自分が言っていた言葉を思い出し
愕然とした

なんてことだ
なんて弱虫なんだ
なんて卑怯ものなんだ
わたし

最低だ

こんなわたしが
合気道をやってて良いのか?

苦しくて
恥ずかしくて
情けなくて
悲しくて
悲しくて
悲しくて


自分のことをわからなくさせたのも
わたし

自分の感情に蓋をしたのも
わたし

自分の感覚を信じられなくさせたのも
わたし

すべて
わたしがそうさせた






わたしは
嘘つきで
見栄っ張りで
自分のことしか考えていない
人の心を失ったものになっていた
そして
そんな自分から
逃げ回って
いい人のふりをしていたんだ

泥まみれの
醜いわたし




そんなわたしに気がついて
わたしは
泣いていた

ごめんなさい
ごめんなさい

みなさん

ごめんなさい
ごめんなさい

わたし



こんなわたしに
わたしがした

この
泣いてるわたしは誰なの?


もしかして
この
泣いてるわたしは
わたしの心なの?









あなたのせいでめちゃくちゃになった
って
言う人がいた

わたしは
よく
あなたのおかげで
って
言っていた

同じことだったな

まだまだ
わたしは
誰かを傘にして
生きていたんだな








わたしのせいで
わたしのおかげで

わたしは生きるんだ



誰かのせいでも
誰かのおかげでもなく

わたしで生きるんだ

いつでも
わたしが邪魔をして
いつでも
わたしが運んでくれる


わたしは
とても
めちゃくちゃなひとです

まわりのひとの優しさに
乗っかって
不平不満を思ったり
幸せだとか喜びだとか言うひとです

これは
わたしが創ってきたわたし

こんなわたしだけど
わたしは
愛するって決めたんだ




こんな
めちゃくちゃなところから
わたしは何を望もうか

わたしの喜びって
なんだろう

まわりのひとは
わたしを喜ばせるために存在しているのではなく
それぞれの喜びを見つけるために存在している

わたしも
まわりのひとを喜ばせるために存在しているのではない





わたしは
覚悟を決めました

ずっと
ふらふらしていたわたし

わたしの本当にしたいことは
合気道じゃないのかもしれない

そんな風に考えてきた

だけど
そこに
合気道は関係がないことに
やっと気づいた



わたしは
わたしがやりたいことをやろう

それが
間違いであろうと
失敗であろうと



わたしは
合気の道をゆく


もう迷いはない


思う存分
合気道をやろう


誰かのためにじゃなくて
わたしのために








ありがとう