自然減衰する音 | HARUのブログ

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ラッパの事、普段の事、色々。

日頃のレッスンや自分が感じている事を飾らずシンプルにアトランダムに言葉にしていってるので少し独り言や覚え書きに近く丁寧では無いかも知れませんがご容赦下さい。

他の感じ方等との比較や批判をする気も無くただ自分の感じてる事です。


一つのフレーズを演奏する時に一つの息の流れでとは良く言われる事です。
でも、全く変化の無い息の流れがそこに有るかと言うと個人的には違う感触を持ちます。

たとえスラーであっても音が移り変わる時に自然な揺らぎが有り、まるで話している時の様に自然な息のエネルギーの変化が起こる。少し具体的な例で説明するとピアノでスラーを演奏する時には各音は減衰してその音が完全に減衰する前に次の音に繋がる。鐘の音の様に。決して機械的な真直ぐな音の繋がりでは無い。(僕の中ではこの減衰する音が繋がって行く感覚は空間に音が舞う事に繋がって行く事を意味してます。)

逆に音は"一つの音"が響いていてその中でリズムを伴い音程が変化をしてタンギング等のアーテキュレイションが言葉の様に入るとも言える。音を一つづつ追いかけながら(一つづつ息を入れて)演奏するのでは無い。

この二つの事は反するのでは無く同時に起こる。

一つの大きな息の流れ、音楽の流れ、音の響きの中で自然減衰を伴った音が紡がれて言葉と成り文章と成って行く。勿論、減衰させない表現も有ります。でも、クレッシェンドの時でさえ減衰は存在する。

それを一度に出来るのは聴いて感じ取り後は身体や感覚その物に任せる事が必要であり、どんな道を選んでも最後にそこに辿り着かないと音楽そのものを演奏するのはとても困難になる。

決してデジタル化されたシステムの様にコントロールされるのでは無くて、空間に共鳴する音を感じ取り自然にコントロールされていく。自らの言葉で素直に人に自らの声で話しをする時に、想いを伝える時に、そこに方法は意識されていないと思う。

僕は音楽(楽器の演奏)も一緒だと思っています。