従兄弟のミキオお兄ちゃんが亡くなりました悲しい
前立腺の癌を患っていましたが、3年前のジジ、そして11月のババの葬儀にも参列してくれました。

「大分よくなったから、抗ガン剤も必要なくなったんだよ」
と言っていたけれど、実はアチコチ転移があるのを、皆に隠していたらしく。
親の代の訃報には、慣れっこになっていた従兄弟達も皆、流石にショックを受けていました。

父方の従兄弟の中で、一番上がミキオお兄ちゃん。
下から2番目の私とは、18才もの年の差があります。
なので子供の頃は、関わりも薄く。
親達が高齢になり、代変わり状態になった頃から、一気に距離が縮まったのでした。

ミキオお兄ちゃんの母親で、ジジの姉である伯母おばあちゃんは、大正生まれ。
弟たち全員を見送り終え、100才で亡くなる寸前まで、頭はハッキリ、介護認定すら受けておらず。
最後まで親戚内を取り仕切り、ダメ出しを。女帝のような人でした。 
ジジババの介護をする私にも厳しい言葉が飛び、ションボリしたり、内心ムカッムキーときたり。

そんな時も、味方になってくれたのが、ミキオお兄ちゃんでした。
頑張りを誉めてくれたり、お菓子を送ってくれたり。
ある意味、私の介護を支えてくれた1人かも。

ジジの葬儀、ババの入所と続いた時期には、1人暮らしになった私を心配し、
「ご飯の友おにぎりを送ります。しっかり食べて」
という手紙を添えて、佃煮の詰め合わせを送ってくれました。

定期的に近況報告し合い、心配し合い、大丈夫だと言い合い。

情緒に波がなく、いつも穏やかで。誰にでも平等に優しく。
人様を決して悪く言わず、威張らず常に謙虚で。
何でも笑顔で柔らかく、受け止めてしまう人でした。
ああいう人を「生き仏」と言うんだと思うわ。
尊敬していました。




山登りが好きで富士山、70才からテニステニスを始めたミキオお兄ちゃんの骨は、骨壺から溢れそうなくらい、しっかりガッシリしていました。
どこでも楽しみをみつけられる人なので、三途の川で釣りでもしているかもしれません。




ミキオお兄ちゃん、お世話になり、本当にありがとうございました。
私も自分の人生を、もう少し楽しんでからそちらに向かいます。




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