母の日のプレゼント特集〜という文字を見るたびに
「あ、今年は探さなくていいのか」
と思います。
寂しいような、ホッとしたような。
昨年は特養に、衣類とブリザードフラワーを届けました。
でも心の片隅で
「ババが喜ぶのは、こういうモノではないよね」
と思いつつ選んだギフトだったので、心の中はビミョーでした。
認知症で、体も思うように動かずの、それでもババの心を動かす贈り物。
笑って喜んでくれそうな何かは。
・家に帰ること
・犬や猫と触れ合うこと
・ケーキや果物を食べること
見当がついていながらも、どれもしてあげられなかった。
簡単なことのようでいて、色んな制約がありました。
せめてもと、大きく平仮名で
「おかあさん、わたしをうんでくれて、ありがとう」
と書いたカードを添えました。
「在宅介護に戻したら、どれも出来たのでは?」
と思う人もいると思います。
実際、特養入所を責めるかのように、ちょっかいを出してくるブロガーさんもおられました(介護記事を書かなくなったからか、お陰様で今は静まっています)。
しかし1度目の介護離職で、すっかり金欠になってしまった私は、働いて稼いでいかねばならず、2度目の介護離職は難しかったのです。
そしてタマの外出や外泊という希望ですら、コロナ禍では高い壁でした。
「ババ、ごめんね」という気持ちは、この先も消えないでしょう。
しかし、良い特養とのご縁をいただいたこと。
最後の4ヶ月半、姉と共にしょっちゅう面会に行き一緒に過ごせた事が、大きな救いとなりました。感謝ですね
ババの葬儀では、ジジの時と同じく、葬儀屋さんに「思い出のアルバム」というスライドを作っていただき、流しました。
もし10年くらい前だったら、私は格好を付け、BGMにサラッとお洒落なクラシックとかを指定したかもしれません。
しかし年をとると、気取りという薄皮って、自然に剥がれていくものですね。
「コテコテでいい。感謝の気持ちがババに伝わるような、何か日本語の曲を」
と思い選んだのが、この曲。
作っていただいたDVDを見直すたび、
「地味な人生だったけど、何事にも負けず、流されず。日々の普通を、ひたむきに積み重ねたババ」
に、合っている曲だったかな…と1人満足しています。
そしてあのとき、既に自分の余命を知っていた、従兄弟の幹雄お兄ちゃんは、どういった心境で、
「いつかは誰でも
この星にサヨナラを〜」
というフレーズを聞いていたんだろ…なんて思うのです。
これからの母の日は、スライドショーを見て、ババを思い出し、
「こっちは大丈夫。しっかりやってるよ」
という心の中での報告が、毎年毎年出来るよう、頑張らなくちゃ。
身内が亡くなるたび、小さな決意と噛みしめる感謝が増えていく。
そして自分の進む道筋が、ボンヤリ見えてくるような…。
失ったようでいて、見えない何かが豊かになる気がしています。
味わい深いですね、人生も歌も
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