在宅介護と施設介護①のつづきです

クローバー     クローバー     クローバー

じいちゃんが入院したことで、充分な睡眠が取れるようになりました。
これは本当に有り難くて。
朝方、習慣で目が覚めてしまうのですが
「オムツ替えなくていいんだ…」
と安堵しながら再び眠れる幸せ。
ばあちゃんはいますが、じいちゃんに比べたら、まだ大変さは雲泥の差と感じていましたからね。
生活全てが何て楽なんだろうと、ウキウキしていました。




しかし病院に行けば自然と気がひきしまる。
少しの罪悪感もあるのです。
それでも病院を後にすればケロリと「楽だ」「自由だ」と思っていました。

しかしその新鮮さにも慣れてくると、その「余裕」という隙間に、思い掛けない気持ちが顔を出すのです。

リハビリ病院に転院した頃からだと思います。それは
「じいちゃんの事は私が一番よくわかっている」
という、妙な「自負」のようなものでした。

センサーを働かし、じいちゃんの少し先を予想する習慣。
染み付いたクセがすぐに変えられるものでもなく。
リハビリ病院で過ごす時間にやたらセンサーのスイッチが入り
「多分💩が出るんだろう」とか
「そのうち湿疹ができるだろう」と気になるのですが、それがまた、よく当たるのです。




「双子って、こんな感覚なのかな」
なんて思ったりして。

だからこそ、他人に介護されるじいちゃんを見ているのがもどかしく、行き届かない事ばかりが気になり。
可哀想に思うのです。必要以上に。
「やっぱり家に帰るのが一番だ」
なんて思うときも。


要介護者とひたすら向き合い、外の世界とも離れがちになる介護。
特に介護離職してからの1年間は、職場などで気分を切り換える、という事もありませんでしたし。

濃い強烈な時間が日常となっていた。その中で知らぬ間に育っていた
「世話をずっと、全てを私がやってきた」
というような自負。
突然必要なくなったその役割に、ある意味「執着」したのだと思います。




ずっと向き合っていることで、共依存に陥る人の気持ちもわかる気がします。
自分にもフッと、それを感じる瞬間が何度かありましたが、私の場合は何処かでそんな自分を笑えたことが幸運でした。

「全くこの私が。おかしなもんだ」と。
元々親子仲が悪かったことが幸いし、深くハマらずに済んだのだと思います。

私は若い頃から、じいちゃんが大嫌いでした。
詳細は省きますが、アル中で性格が悪く、飲んでいようがいまいが暴言を吐き。




ご近所も皆、お酒の事は知っていました。
長年家族は色々と、嫌な思いをしながら生活してきました。
恨んでいたし、憎んでいたし。




「好きな人をこの家に連れて来るなんて恥だ。絶対に嫌だ」
と思っていて、
「結婚なんて、じいちゃんが死んでからすればいい」
なんて思っていた若かった私。一日中馬鹿だ馬鹿だと言われているばあちゃんを、1人残すのも忍びなく。




嫌いな父親と、似た部分を持つ自分のことも大嫌いで。子孫なんて残したくもないとすら思っていました。
なのでそんな私が、将来じいちゃんを介護するとも出来るとも、正直思ってはいなかったです。

けれど実際に始まってしまったら、アレコレ言っている暇はなく。
二人三脚のように足を結ばれた親子は、その不自由なカタチのまま、何とか進んで行く事に集中するしかなく。
そして道はどんどん険しくなり。




長年抱えた恨み言の数々は、介護をする中、すっかり消えていました。
いつなくなったのかも覚えていません。
器の小さな私には、そんな事にこだわり、心の中に入れておく「余裕」がなかったのだと思います。

あの若い時代、あんなにも嫌悪した数々を「そんな事」と感じるなんて。
そしてあのじいちゃんと、一体感すら感じる時があるだなんて。
そんな自分を笑いつつ、
「私がじいちゃんの介護をした意味は、その辺にあったのかな」
と、しみじみと思ったりしたのでした。




「起こること全てに意味がある」
とまでは正直思いません。
「意味」はその人自身が、起こった事実にコッソリ後付けする、自己満足的なモノだと思っています。
けれど、意味を当てはめられること自体、豊かな事だと思います。きっとそこに不正解はないと。

そうして何かしらの「収穫」を感じられた時、納得し、満足し、そして飲み込んで消化でき
「まんざら悪くはなかったよ」
と、出来事の仕舞いに「。」を付けられるのではないかと思うのです。




なので辛くても、多少無理してやれる所までやってみるのもいいと思う。
気持ちはあるのに何となく、入所に踏み切れなかったあの時期は、まだ何かしら、その生活に「旨味」が残っていたのかなと。
そういう意味で「まだ時期ではなかった」のでは、と思うのです。




しかしこれはあくまで体力気力に恵まれた、私の場合の介護物語です。
限界は人それぞれなので、皆さんは、どうか自分の心やカラダと相談しながら…。

老健入所の時、
「これからはそれぞれの道だ」
と、長いバトルは終わったのだと、寂しくも清々しいような気持ちになりました。
よく晴れた日だったからからかもしれません。




入所から、もうすぐ2年。
主介護者としての自覚はありますが、今は、
「じいちゃんのことは、職員さんの方がわかっている」
と思い、安心してお任せしています。




2年も離れていると、私が見ていた頃とは、食の好みや体調も変わってきていますしね。
週2回、様子を見に行きますが、じいちゃんの心の中まではわかりません。




命の期限が近付く頃、再び濃い時間がやってきて、経験の意味に「変化」があるのかもしれません。
でもそれまでは
「お互いの場で懸命に生きましょう」
と、今はそんな気持ちで、ゆったり構えている娘なのです。




過去イラスト使用で、ちょっと真面目に書いてみました。

2話続いた私の「介護うちあけ話」。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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