前回の日記(はじめて介護認定を考える)の続きです。
回顧録なので、認定を受ける前の話になりますが、よろしければお付き合い下さい。

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平成27年2月。胃潰瘍入院から3年経過。

じいちゃんの介護はどんどん大変になっていましたゲロー
夜の大量横漏れに、朝方ケンカしながらの着替えが定番となり、ばあちゃんでは無理に。
なので




防水シーツを買い、パットも使うようになり、オムツはどんどん厚くした。

介護認定を受けたいと思うようになったけど、前回の日記に書いた通り、よそ様に迷惑を掛けるのを嫌がるばあちゃんと、病院嫌いで主治医がいない事がネックとなり、足踏み状態だったそんな頃…。

ご近所の方のお葬式に行きました。




斎場には、ご近所のK戸さんの奥さん&K戸さんの妹Y子さんのお顔が。




K戸さんファミリーはアパートや借家を幾つも持っている地主さん。
この家には99才になるお婆ちゃんおばあちゃんがいるのです。

ハル家も私が幼稚園まで、K戸さんの借家の1つに住んでいました。
そんなこともあり、ここのお宅には昔っから、うちのジジババは弱いのだ。

奥さんに
「お父さん、どうなの?」
と聞かれました。

長くアル中日本酒で困った人だったこと、胃潰瘍で入院した事も知っています。私はついつい
「もうホント大変で。昼間ばあちゃんが可哀想だし、私も都内の職場辞めて、近所で仕事探そうかなとニヤニヤ」と。

ここのガンコなお婆ちゃんおばあちゃん、プライドが高く、長年認定を嫌がっていたのだけど、
「払うもの札束十分払って来たんだから、そろそろサービス受けないと損よ」
と皆で言い、やっと上手く運び、今結果待ちなんだとか。




と私はちょっと笑って言った。

その時の奥さんとY子さんの顔というか雰囲気というか。今でも何となく覚えています。

「そう、大変ね」と言い流すのは、お2人も朝飯前のハズ。
そのお2人がそれをせず「そう…」と真面目顔で言い、静かに目を見合わせていた。




葬式の合間のほんの少しの出来事。特に気にもしなかった私。

それから数日後、会社から帰るとばあちゃんが




と。なんと、ばあちゃんを説得に来てくれたような。
しかし残念ながら、話がイマイチわからなかった。

翌日。週末で仕事は休みだった。
おつかいに行こうと外に出た途端、K戸さんの妹のY子さんが寄ってきた。




「今うちのお婆ちゃんのとこに民政委員が来ているから、終わったらお宅に行くように言うから」
と。時間を約束し、取りあえずおつかいへ行く私。

スーパーへと自転車を漕ぎながら思った。
「タイミング良すぎる…。きっと私が出てくるのを待っていてくれたんだ。アパート前の草むしりなんてして…真顔

30分後、民政委員のU山さんというオジサンが、包括センターの案内を手にやってきた。
急な流れに戸惑いつつも、私とばあちゃんは少しずつ、介護の様子をゲロゲローし始めた。




「よそ様に迷惑掛けてはいけない」と、言い続けてきたばあちゃん。
しかしこの「よそ様」という流れには、何か熱いモノがあり、逆らえなかったみたい。
家に入ると言うことがコロリと変わり




ゲンキンなものね。
娘が何度言っても全く響かなかったのに真顔
こうしてやっと、初の要介護認定への一歩を踏み出す事になったのでした。
私1人の力では、きっと川の流れは変えられなかった。
情け深いK戸さんファミリーに感謝お願い
この拙いブログに、改めてそっとお礼を記します。




(はじめての包括センターへ続く)