京都の三条のブログを書いている途中ですが、先にこれを投稿します。
現在仕事は主に老人ホームの清掃をしていますが、その前に働いていた厨房で、日曜日だけ月に3回3時間だけ行っています。
辞めるつもりだったのですが、人手が足りないということで日曜日の早朝で入っています。
今日出勤すると、チーフから
「お待ちかねの」
と言って、封筒を渡されました。
「永年勤続表彰 勤続5年」
と書かれていて、中はパソコンで入力した社長からの表彰状が入っていました。
いくらかはまだわかりませんが、金一封いただけます。
5年前に入社し、初めから嫌な人が多かった職場。
好きないい人はほとんど退職しました(なぜかそうなるよな)
結局仕事が自分には向いていなくて、それ以上に人間関係がしんどかった環境。
この私がよくぞ5年も耐えれたもんだ。
自分で自分を褒めてあげたい(笑)
日曜日に入っているのは、いい人とだし、デイサービスが休みで仕事が楽だから。
その後さらに環境は悪くなって、本当に変わってよかったとつくづく思います。
老人介護施設の厨房としては給料も高い方で、わずかでも報奨金や誕生日にはQUOカードもくださり、会社には感謝しています。
辞める気になっていた時は、5年勤務の褒賞金のことは頭にないほどとっとと辞めたい一心だったけど、こうして表彰状をいただくと、やはり嬉しくて続けていてよかったと思えます。
でも65歳になったら年金が丸々もらえるので、厨房の仕事の方は辞めよかなと考えています。
それまで続けられるといいのですが。
6月の末に東京から埼玉に引っ越したレミが帰っていました。
25日は友達と梅田で遊んで、家に帰ってきたのは夜でしたが、晩御飯は家で食べてくれて、楽しい話をいっぱいしました。
26日は家族みんな休みをとり、梅雨時でムシムシ暑いし、夜は焼肉に行くことにしていたので、近場の「大阪歴史博物館」に行きました。
大阪城に近く、NHK放送局と同じビルの隣にあります。
大阪歴史博物館はこちら。
エレベーターで10階まで上がり、7階まで回っていきます。
大阪歴史博物館は初めてです。
意外と広くて見応えがありました。
古代この辺りに「難波宮(なにわのみや)」があったそうです。
《弥生時代後期から古墳時代、応神天皇の行宮で難波大隈宮。
大王と呼称された倭国の首長で河内王朝の始祖である仁徳天皇の皇居、難波高津宮。
以来、飛鳥時代から奈良時代、再び難波に都が戻り法円坂周辺に造られた古代の宮殿。
645年〜793年まで約150年間の皇都。
天皇の住まい、政治、儀式の場をはっきりした構造は難波宮が最初であり後の宮にも採用された。》
とあります。
生まれた時から大阪に住んでいますが難波宮なんて全然知りませんでした。
学校でも習った覚えがないのですが。
平安宮についての本を読んでた時に、難波宮が出てきました。
難波宮跡があると知って、是非行きたいと思っていました。
10階は古代フロア。
奈良時代の難波宮の大極殿のフロアになっています。
原寸大に復元した空間では、直径70センチもある朱塗りの円柱が立ち並び、官人たちが整列しています。
フラッシュをたかなければ撮影はOKです。
女官たちの説明が書いてあり、命婦や女嬬など京都の葵祭の女人列を思い出し、こんなんやったんやなと理解することができました。
そこからはこんな景色が。難波宮跡公園が見えています。
下の階にエスカレーターで下りていく所は素晴らしい展望になっていて感動しました。
10階といっても1つの階が高いようで、大阪城天守閣を見下ろせるんです。
ガラスの反射でよく見えませんが、大阪城の堀や石垣などとてもよく見えています。
難波宮跡公園。拡大してます。
人形がほんまにリアルでした。
リアル過ぎて写真撮るのがこわかったものも
他に見たかった所があるので、また近いうちにゆっくり行くつもりです。
博物館に入る前に行きました、昼ごはんは谷町3丁目にあるうどん屋さん。
私は、きつねうどん。
分厚いお揚げさんが2枚も!
無理なので1枚はハルカと旦那で食べてもらいました。
コシがしっかりして美味しいうどんでした。
レミは、とり天うどんセット。
ハルカは、わかめうどん。
旦那はさっさと食べ始めたので写真撮ってません。
食べログの評価、口コミもよく、繁盛していました。
難波宮跡に行くつもりだったのですがもう疲れていたので、地元でカフェしました。
夜は、これもハルカの勤続10年目でいただいた褒賞金で焼肉を奢ってくれました。
ありがとう
レミは次の日帰りましたが、次は8月のお盆に彼氏と帰ってくるので、まだ寂しさも軽減しました。
今から楽しみにしています。
読んでくださり、ありがとうございました