5月15日は、葵祭の本祭になります。
昔は勅使以下が御所に参集して、御祭文・御幣物を拝受する宮中の儀式が行われていたそうです。

「路頭の儀」

京都御所〜下鴨神社〜上賀茂神社

《勅使代や斎王代をはじめ、宮廷装束の総勢500余名、牛馬、牛車や風流傘など、約8kmにもわたる大行列が京都御所を出発した後、下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう。》

「ルートと時間予定」

(画像はお借りしました)


10時  

御所内で進発の儀が行われ、行列に参加する人馬は宜秋門から出て列を整える。


10時30分

京都御所 建礼門を出発


10時45分

京都御苑 境町御門を出る。

(丸太町通を東進)


10時50分  

河原町丸太町交差点を通過。

(河原町通を北上)


11時15分  

河原町今出川交差点を通過。

(出町橋を経て、下鴨神社一の鳥居から二の鳥居へ)


11時40分  

下鴨神社到着。

社頭の儀が行われる。》


京都御所ではこのような風景なのですね。



祭りの参加者はみな葵の飾りをどこかにつけています。



京都御所辺りも好きですが、下鴨神社辺りで見ることにしました。

この新緑の季節に糺の森にも行きたいし。

でも、どの辺りで見たらいいのかわかりません。

「コーヒーハウスマキ」を出てから、とりあえず下鴨神社の方向へ向かいました。


桝形出町商店街。

そばには有名な和菓子屋の「出町ふたば」さんがあり、既に行列でした。

この辺りの通りに場所を取ってる人が多くてここで見ようかなとも思ったのですが、もうちょっと下鴨神社に近づきたい。

で、考えてもわからないので、この辺りにしました。

(写真のところ)

出町橋を渡った所です。


早々と陣取って長く待つか、遠くからになるけどゆっくり目に行くか。

私は後者なんですよ。根性がないプンプン


11時前に着きました。

待っている時の様子です。

右の黄色いロープから橋の方へは立ってはいけません。


それでもマナーの悪い人は近づいて写真を撮ったりして、警備の警察官に注意されてました。

わからない人も多くて、もっと立入禁止区域だとわかるようにしたらいいのになとも思いました。

下に下りて河川敷きから橋を見上げることもできます。


私たちがいるのは鴨川公園です。

まだ比較的人が少なくて道路沿いに立つことができました。

警備員の人が橋に近い人たちに「下がってください」と言っていたので、駄目なのかと動こうとしたら、前にいた60代後半の男性の方が、

「ここはいいねんよ。この前は座ってはる人が見えないから」

と教えてくださり、それでちょこちょこその人とお喋りしていました。


この日は曇りで涼しめで、行列を見るのは晴天の方が綺麗なのでしょうが、ずっと立っているのにはこの方がありがたかったです。


警備の人が「今出川交差点を通過しました」と言いました。

あともう少しです。

道の規制も完全に行われて、いよいよという雰囲気。

ワクワクします。


きた、きた、先頭に婦人警官さんが馬に乗って現れました。


王朝文化を今に伝える「路頭の儀」の始まりです。


この場所からでも充分見れるのですが、ちょっと遠くて何の行列かわかりませんでした。

なので、画像はお借りしました。


行列は近衛使代(勅使代)を中心とした本列(近衞使代列)と斎王代を中心とした斎王代列(女人列)があります。

葵祭は松尾祭や祇園祭のように、神が神輿に乗って御旅所に行くというようなことをしない、神が行列に参加しない珍しい祭りです。


《本列》


「検非違使(けびいし)」

「光る君へ」紀行で出てきましたね。

秋山竜次さん演じる藤原実次が検非違使別当(平安京の治安維持機関・検非違使庁の長官)であったこと。


「山城使(やましろつかい)」


「御幣櫃(ごへいびつ)」


「馬寮使(みりょうづかい)」


「牛車(ぎっしゃ)」

御所車といわれ、勅使の乗る馬で、藤の花などを軒に飾り、牛に引かせる。


「舞人(まいうど)


「勅使(ちょくし・近衛使)」

行列中の最高位者。祭りの本来の主役。


「陪従(べいじゅう)」


「内蔵使(くらづかい)」



《斎王列》


腰輿(およよ)に乗った斎王代を中心とし、女別当、内侍、命婦、女嬬、駒女、童女など女官たちの華麗な行列が続く。


「斎王(さいおう)」


《天武天皇の時代(飛鳥時代)から伊勢神宮に奉仕した未婚の皇女または女王を「斎王」と呼んだ。

9世紀初めの嵯峨天皇の時代(平安時代)に、平安京の守護神である賀茂神社にも皇女が奉仕することに。

そのため、伊勢神宮の斎王を「斎宮」、賀茂神社の斎王を「斎院」とそれぞれを区別して呼ぶようになった。》


かつて未婚の内親王が務めていた。

現在は京都在住の未婚女性から選ばれた斎王代が務める。



「にょにん(にょにん)」



私が撮った行列です。

拡大しても見えにくいですね。

無知なので何の行列なのかわかりませんでした。






時折一般の人たちが共に通行します。



牛車






風流傘





風流傘





左端の人が斎王代ですがよく見えてません






最後の斎王代の牛車


思ってたより早く終わりました。

お喋りした横の人はお腹が空いたからすぐ帰ると言ってはりました。

風景と共に「人」はいい思い出に残りますね。


京都に住んではる人でも葵祭に興味がなく、交通規制を知らない人たちがたくさんいてるんですね。

この場所にいると、何人もの人が警備の人に「ここは通れません、あちらからまわって下さい」と言われてました。

めちゃキレて食ってかかる人や、「診察時間に間に合わない」とネチネチ文句言ってる間に言うこと聞いた方が早いんちゃうと思う人とか、それがうっとしかったです。

来年は京都御所の神宮丸太町あたりで見たいねと言ってます。

次はもうちょっと近くで、何の列か意識して見たいです。



止まっていた斎王代の牛車を撮りに行きました。


私たちはこの後糺の森へ向かいます。

葵祭のブログは続きます。



誰か知りませんでしたが、写真を撮りました。

「尾上松之助像」と書いてあります。

帰って調べると、歌舞伎役者、映画俳優で、幼少から舞台に立ち、旅芝居の役者となり、1909年(明治42年)に映画監督の牧野省三に見出され、映画に出演したそうです。

「目玉のまっちゃん」が愛称だったとか。

なぜここにというところまで調べてません。また機会があれば。


鴨川「葵公園」周辺情報掲示板



2019年5月29日。

ハルカと下鴨神社に来ていました。


出町柳の駅から鴨川を歩きました。



大好きな出町柳、鴨川デルタ。

雑誌などの撮影場所によく使われますね。

もちろん私たちもここで遊びます。




飛び石が亀石になってます。



私はけっこう怖いなと思いましたが。

5年たった今でもびょんと渡れるかな?(笑)


鴨川に沿って糺の森まで。


橋の下には葵祭の説明があります。



今思えば出町橋だったのでしょうね。

路頭の儀で行列が通った橋です。


読んでくださり、ありがとうございましたおねがい