2月26日 月曜日。
京都市上京区馬喰町にある「北野天満宮」に行ってきました。

北野天満宮と言えば、この季節は梅ですね。
京都では1番の名所だとか。
可愛くて綺麗な梅をたくさん見てきましたよおねがい

お昼ご飯には前からずっと行きたいと思っていたお店に行きました。
市バス「北野天満宮前」を下りてすぐ、今出川通を挟んで一の鳥居が見える所にある豆腐料理店「とようけ茶屋」さんです。

近くにはこれも人気店のカフェ「北野ラボ」さんや、名物一本うどんの「たわらや」さんがありますね。

いつか行ってみたいのですが。

とようけ茶屋さんの並びにはこれも粟餅で有名な老舗の和菓子屋「澤屋」さん。

前にいただいてとても美味しかったので、並んでなかったら買って帰ろうと思っていたのですが、あいにく休みで閉まっていましたえーん

でもたぶん凄い人やったやろうと思います。


とようけ茶屋さんも梅の時期だし行列やろなと思っていました。

11時開店で20分前ぐらいに着いたのですが、5.6番目でいけました。

後ろに次々と並びはります。

ラッキーなことに少しして案内してくれはりました。

2階と3階があり、3階の席でした。

1階は豆腐や豆乳ぷりんなどを販売しています。


窓からは一の鳥居が見えます。

「料理はまだお作りできませんが」と言ってはりましたが、寒い中で立って待たなくてすんだので本当にありがたいです。

注文も並んだ順番に聞いてくれはりました。

お店の人が愛想よくて親切でした。


食べたかったのは湯豆腐膳。

冬の京都に行ったら湯豆腐は必ず食べたいですよねニコニコ

とようけ茶屋さんはリーズナブルなんですよ。


突き出しのお豆腐。

「冷たいうちにどうぞ」とのこと。

とろっとして美味しかったです。


湯豆腐膳。

にがり絹ごし豆腐で、他の豆腐にも変えれるそうです。

生湯葉や生麩が入ってました。

2種の豆腐の小鉢があったのですが忘れました。

ひろうすとキュウリの和物もありました。

どれもとても美味しかったです。

白飯がボリュームあって、お腹がいっぱいになりました。

それでも御膳にだけ付くサービスの豆乳ヨーグルトは別腹。

前にお土産に買って帰って美味しかったですが、お店でいただくとさらに美味しく感じます。

大満足でした。

また食べに来たいです照れ



さあ、北野天満宮へ。


《北野天満宮


平安時代の学者、菅原道真を祀る。

全国天満宮・天神社一万二千社の総本社。


道真は和魂漢才の精神と誠の心を以て学問に勤め、宇多・醍醐両天皇の信任厚く右大臣を務めていたが、左大臣藤原時平の策略により無実の罪で九州の太宰府に左遷され、2年後の延喜3(903)年、非業の死を遂げた。


道真の死後、疫病や飢饉など天災地変が続発し、宮中の清涼殿に落雷し死者が出た。

当時の人々は道真の怨霊の仕業と考え、怨霊を鎮めるために神として祀った。


天暦元年(947)に多治比文子(たじひのあやこ)に道真のお告げがあり、北野に道真を祀ったとされる。


北野の地は平安京の乾(いぬい・北西)の方角にある。

乾は「天門」ともいわれる大切な場所で、この方角を鎮めることで災厄を防ぎ守護されると考えられてきた。

またこの地に依然から祀られていた農業神、祈雨の雷神が道真と結びつけて考えられ、道真の神霊は火落雷、天満天神と崇められ、天神信仰となって全国に広まった。》


一の鳥居から二の鳥居までの参道です。


「一の鳥居」

《今出川通に面して立つ高さ11.4メートルの大鳥居。

木曽の花崗岩の一本柱。

大正10年に建立、平成26年に閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)御筆の「天満宮」の額が修復された。


閑院宮載仁親王は、日本の皇族、陸軍軍人。

日本赤十字社総裁など。

世襲親王家の閑院宮第六代当主。》


狛犬の獅子の台座の絵は、京都画壇の重鎮・竹内鳳凰の「紅白梅図」の下絵として描かれたものだそうです。



一の鳥居をくぐってすぐ右手に、石の玉垣で囲まれた一本の松が立っていて、「影向松」という御神木で、初雪が降ると御祭神が君臨され、雪見の詩を詠まれるという伝説が残るそうです。


(画像はお借りしました)



知らなかったのですが、なんとか写っていました。



また、左側には「茶室松向軒」という、豊太閤大茶会の際に、細川三斎公(忠興)が設けた茶席(本物は大徳寺高桐院に移築)があるそうですが、これも見逃していました。



一の鳥居をくぐったら目先は広々とした参道を見てしまいます。


二の鳥居から三の鳥居まで。


「二の鳥居」



「伴氏社」(ともうじのやしろ、重要文化財)

《菅原道真公の母を祀る社で、子どもの成長と学業成就を守護。

社殿前の石鳥居は鎌倉時代の作。

京都三珍鳥居(厳島神社、蚕の社)の一つ。

台石に蓮弁が彫られているのが珍しいとされる。》


受験生の母親がよくお詣りにくるそうですよ。


三の鳥居から楼門まで。


「三の鳥居」

屋台が出ていました。


菅原道真の誕生は、承和12年6月25日(845年8月1日)。

亡くなったのは、延喜3年2月25日(903年3月26日)。

毎月25日は縁日で毎月「天神さん」として親しまれる市が立ち、境内は賑わいます。

毎年1月25日を「初天神」、12月25日を「終い天神」と呼び、私たちが行った前日の2月25日は「梅花祭」でした。


「なで牛」

自分のからだの悪い部分と同じ牛の部分をさすってから、自分のからだのその部分をさすって「良くなりますように」と願掛けします。

私はからだも頭も足もさすりました。

北野天満宮にはいっぱい牛さんがいます。

《道真が生まれた承和12年(845年)6月25日は、丑年丑の日であったことから、道真のおつかいとして牛が祀られている。》


楼門の手前右側には太閤井戸があります。


「豊公北野大茶湯趾」

《楼門の南(現在は駐車場)の松原、茶文化ゆかりの北野の地で天正15(1587)年10月1日に開かれた北野大茶湯。

秀吉公自ら亭主となり、1000人もの来会者に茶をふるまったという。)


「太閤井戸」

《楼門下東側に残る、太閤秀吉公が北野大茶湯で使われた井戸。》


太閤井戸の奥に「さざれ石」があるようですが見てません。


楼門の手前の左側には「筆塚」が。

《小野英棟という商人が建立した筆塚。

菅原道真が手習い(習字)の神として信仰されたので、北野天満宮をはじめ各地の天満宮に使い古した筆を埋めて供養する筆塚が建てられた。

この碑もそのひとつ。》


参道の左側、なで牛や筆塚の後方には梅の花が見えていますが、これが北野天満宮の梅苑になります。

参道から見るだけでも華やかで、ハルカが喜んで「早く行きたい」とウズウズしていました。


楼門が見えてきました。


「楼門」


「文道太祖」とは学問、文学の祖。

「風月本主」は、漢詩・和歌に長じた人という意味。



楼門を入っていきます。



「手水舎」


美しい花手水は1週間ごとに変わるのだとか。

真ん中に牛さんがいますね。



なで牛


この先に「宝物殿」がありますが、ここはまた後で。


早咲きの梅の見頃は過ぎていたようなのですが、まだまだ咲いています。



昭憲皇太后御献進紅梅「世継の梅」


「綾部形石灯籠(マリア灯籠)


楼門の左側には「絵馬所」(休憩所)があります。

《元禄13(1700)年再建時の建物で、京都に現存する絵馬所の中で最大最古のもの。

長谷川等伯をはじめとする優れた絵師たちが描いた奉納絵馬、数学の問題を図形で描いた算額、新選組の旗字のモデルと考えられる「誠」絵馬など、美術品としても楽しめる。》


だそうですが、そうとは知らず、ゆっくり見ればよかったです。ショボーン



三光門から本殿です。



三光門(中門・重要文化財)


《「天満宮」の勅額は、後西天皇の御宸筆。


三光とは、日・月・星で、梁の間に「日」と「月」の彫刻が見られる。


(画像はお借りしました)


星はなく、それは朝廷の大極殿から望むとこの門の上に北極星が輝いたことから。


絢爛豪華な桃山文化を今に伝えている門。》



「本殿」(国宝)

《菅原道真公を主祭神とし、相殿に中将殿(長男)、吉祥女(夫人)が祀られている。

本殿と拝殿が石畳の廊下(石の間)でつながれ、本殿の西に脇殿、拝殿の東西に楽の間を設けて多数の屋根が結合した八棟造り(権現造)

蟇股や欄間には華麗な彫刻が施されている。

慶長12(1607)年に豊臣秀頼が片桐且元を奉行に再興したもの。国宝に指定された。


御神徳は、学問の神、正直・至誠の神、芸能の神、濃厚の神、冤罪を晴らす神、厄除けの神、武芸の神など。》


一般によく「学問の神様」って言うので、いつも菅原道真を祀る神社に行くと、自分は何を拝めばいいのやろと思っているのですが、「正直・至誠の神」っていいですね。




三光門をくぐって本殿を見た時、凄く立派でオーラのようなものをひしひしと感じました。


これが有名な「飛梅」です。


《左遷された道真公が、都を発つ際に詠んだ


「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花

あるじなしとて 春なわすれそ」


(春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の太宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。

主人の私がいないからといって、咲く春を忘れるな)


それに応えて、道真公を慕った梅は、太宰府まで飛んで行ったと伝えられている。》


なんだか切ない、悲しさも感じてしまう梅ですね。


北野天満宮の本殿は、中央を避け少し左に寄った形で建てられています。

これは、天満宮創起以前から鎮座している地主神社の正面を避けて建てられたためだそうです。


(画像はお借りしました)

左が本殿の建物。奥の社が地主神社です。


「地主神社」

《天満宮創起以前からこの地に鎮座する天満宮第一の摂社。

御祭神は天神地祇(ちぎ・地の神、国土の神)でもとは北野天神と称されていた。

招福・交通安全・諸願成就の神。》



本殿への参拝は、拝殿を拝したのち背後に回り「御后三柱(ごこうのみはしら)・裏の社)にも手を合わせます。

《天穂日命(あめのほひのみこと)

 是善卿(道真公の父)

 清公卿(道真の祖父)

を祀っている。

三代に渡る文章博士の家系で、学識に秀でるとともに教育者としてもすばらしく、学徳成就の神。》




「文子天満宮」

《御祭神は菅原道真。

千本七条あたりに住む多治比文子に道真のご心霊による夢告があり、文子は道真の御霊を祀る。

これが北野天満宮の発祥となった。

文子の住居跡は神殿に改められ、西ノ京へ移されて明治6年に当地に遷座。》


「牛舎 絵馬掛所」

《北西角にあり、撫でて一つだけ願い事をすると叶うという「一願成就院のお牛さん」

北野天満宮で最も古い臥牛像。

撫でるあまり角がなくなり顔全体が丸みを帯びているほど。

信仰があつい。》



合格祈願のお牛さんの絵馬がいっぱいです。

鳥居の手前からは見えなくて、知らずに中まで入っていかなかったのですが、お牛さん撫でさせていただきたかったです。


これのようですが、お顔が写ってないです😂



それにしてもどこもかも梅が美しいですおねがい


「史跡御土居の紅葉」と書かれています。

今回は梅苑から御土居に行けました。


2月上旬から3月下旬まで公開されている「梅苑 花の庭」に入りました。

次に書きます。

それはそれは美しい梅の花の庭でしたラブ


読んでくださり、ありがとうございましたおねがい