1月30日の滋賀県大津市の石山寺です。

天然記念物の硅灰石の眺めを堪能した後は本堂へ上がって行きます。

本堂(国宝)

《永長元年(1096年)の再建で、滋賀県最古の木造建造物。

内陣は平安中期。僧・淳祐(しゅんにゅう)が再興した。

外陣は淀殿の修補になるもの。

「淀殿伽藍再興記念篇額」に記されている。》


淀殿も石山寺を参詣して、源氏物語を読んでたのかな。


石段を上がった所には、紫式部が「源氏物語」を起筆したと伝わる「源氏の間」があります。


紫式部参籠の場面が描かれています。

《「石山寺縁起絵巻」の他の場面や他の文献から推察すると、天皇や皇族、貴族、高僧など身分が高い人々が使用する部屋であったようです。

皇后の女房である式部は特別待遇にあったわけですが、新しい物語の制作がいかに重要な任務であったかが伺えます。》


と、書かれています。

この部屋は鎌倉時代にはすでに「源氏の間」と呼ばれていたそうです。


本来なら執筆中の様子を表した紫式部の人形が置かれているのですが、残念にもただいま修理中で3月18日に戻ってくるそうです。


(画像はお借りしました。)


「源氏の間」




《石山寺は古来より月の名所としても知られる。

「石山秋月」は歌川広重をはじめ多くの浮世絵師によって描かれた「近江八景」のひとつとして知られている。


(画像はお借りしました)


物語づくりを命じられた紫式部。

中秋の名月の夜、瀬田川に映る月を見た紫式部の脳裏に一人の貴公子が浮かび上がり、そこから着想を得たのが、光源氏を主人公とした「源氏物語」である。

「月のいとはなやかに

さし出たるに

今宵は十五夜なりけりと

思し出でて

殿上の御遊び恋しく・・・」

と、源氏物語第十二帖「須磨」巻から書き始めたと伝えられている。》



「石山寺縁起絵巻」面白いです。

「本堂東面と硅灰石」が書かれていて、これは室町時代に制作された第四巻の藤原道長の参籠の場面に描かれる本堂で、再建後の本堂の姿だそうです。

《現在の本堂と絵を比べてみると、源氏の間以外は、本堂はもとより、硅灰石や石段までが忠実に描かれていることがわかります。

なお、僧形の藤原道長が籠る画面中央の部屋は、紫式部が参籠した部屋でもあります。》


と、書かれています。

藤原道長のことはほとんど知りませんが、晩年は病に苦しみ出家したそうです。


《石山寺は、多くの僧侶が学び、数多くの聖教や経典が大切に守られる「学問の寺」でもある。

また、当時は宮廷の官女の間で石山詣が盛んに行われ、藤原道綱母の「蜻蛉日記」や菅原孝標女の「更科日記」にも描写されている。

また「和泉式部日記」には、敦道親王との恋に悩んだ泉式部が、石山寺に籠った様子が綴られている。


石山寺は四季折々に花が咲き誇る「花の寺」

当時、都にほど近く、琵琶湖の風景を堪能しながら石山寺に参詣することは、観光的要素も含めて貴族の女性たちの楽しみでもあったと考えられる。》


本堂の入口


本堂内は写真撮影禁止ですので、例によってテレビ放送から。

《本堂の創建は奈良時代中頃だが、承暦2年(1078)に焼失。

その18年後に同規模で再建され、桃山時代に礼堂が改築された。

現在の本堂は正堂(内陣)と礼堂(外陣)、その両者をつなぐ相の間からなる。

紫式部の執筆姿「源氏の間」は相の間。

正堂には宮殿(仏像を祀る小建築)を設けて本尊を安置している。。


本堂には石山寺本尊の「如意輪観世音菩薩像(にょいりんかんぜおんぼさつぞう)が祀られている。

硅灰石の岩盤を台座とし、本堂内の巨大な厨子に安置されている。

唯一の勅封秘仏(天皇の命により封印)であり、原則として新天皇の即位の翌年、および在位33年目にのみ開帳される。

優美な定朝様をしめし、漆箔・彩色の繊細な文様がよく残る。》


(画像はお借りしました)

《平安時代 11世紀 木造 彩色 漆箔

像高301.2cm

重要文化財》


硅灰石の上に鎮座され、石山寺ならではですね。

こちらはお前立ちです。


内陣は500円の拝観料で入れますが入らず外から見ました。
不動明王坐像が祀られていたのを覚えています。
密教の主尊である大日如来の化身で、元は護摩堂の本尊だったのが、堂が倒壊したため本堂に移されたそうです。


後になって源氏の間からの風景をゆっくり見たらよかったなと思いました。


本堂を出て、さらに石段を上がっていきます。


「三十八所権現社」(重要文化財)

《初代神武天皇から第三十八代天智天皇までを祀っている。》


前まで行かなかったのですが、見えているのは「鐘楼」(重要文化財)のようです。

多宝塔の後に造ったとされる源頼朝の寄進だそうです。


次は「経蔵」(重要文化財)ですが、建物は写真撮っていません。

重要な経典や聖教類が収蔵されていた県下最古の高床式校倉造(あぜくらづくり)だそうです。

その下には「安産の腰掛石」があります。

この石に腰掛けると、安産になると言われているそうですが、いやいや、妊婦さんがここまで歩いて上がってくるのは相当大変やと思うんですがガーン

安産がと言うより、お腹の子が流産してしまったら悲しい話ですショボーン


見えているのはこれも見に行かなかった「御影堂」(重要文化財)です。

《室町時代の建立。石山寺に関わりの深い高僧である。弘法大師と第三代座主 淳祐内供(しゅんにゅうないぐ)が祀られている。》


「紫式部の供養塔」(重要美術品)

《宝筐印塔の笠を三つ重ねた珍しい層塔。

鎌倉時代のもので、紫式部の供養塔と伝えられてきた。


右に立っているのは「芭蕉の句碑」

紫式部を慕って詠んだとされる。

「あけぼのは、まだ紫に ほととざす」》


辿り着きました。

下から硅灰石と共に素晴らしい眺めだった


「多宝塔」(国宝)


美しく堂々としています。


《日本三大多宝塔のひとつで、最古最美と言われている。

1194年源頼朝の寄進により建立され、本尊は快慶作の大日如来である。》


(画像はお借りしました。)


大日如来坐像(重要文化財)

《平安初期。

座高96cm。

元多宝塔の本尊。

一木造。

納入品はなし。

部分的に乾漆が施され彩色されている。


「月見亭」


《後白河天皇行幸の際に建立されて、歴代天皇の玉座となっている。

近江八景「石山の秋月」のシンボル。》


月見亭の隣りには松尾芭蕉ゆかりの茶室「芭蕉庵」がありますが、まじまじと見ていません。


この辺りの見所として「源頼朝・亀谷禅尼供養塔や「めかくし石」があるのですが、見落としていました。


見ていない所はあえて見に行かなかったのではなく、見所が多すぎて追いつかないのです🥲


ベンチが置いてありましたが、ここからの眺めは素晴らしく、しばらく休憩していました。


この数日前、滋賀や京都などは大雪が降りました。

画像では薄っすらとしか見えていませんが、山の上には雪が積もっていて綺麗でした。


ここから眺める街の景色で1番目についたのが「ニトリ」の文字でした。

「なんか風情がないな」と私たち家族で言っていました(笑)


もうちょっと先まで書きたかったのですが、長くなったので続きにします。


読んでくださり、ありがとうございましたおねがい