またも久しぶりのブログになってしまいました。

二条城二の丸御殿の続きです。


いよいよ大政奉還が表明された大広間の一の間とニの間です。


大政奉還とは。


《1867年(慶応3年)10月14日。

江戸幕府15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上することを申し出て、翌15日に朝廷が許可し、江戸幕府の幕は降ろされた。

これを日本史上、大政奉還と呼んでいる。


徳川家康が朝廷から征夷大将軍を宣下されて以来、政治の大権を天皇から徳川家が預かる形で、日本の政治者として君臨してきたが、幕末、薩摩藩と長州藩が同盟を結んで討幕運動を始め、土佐藩からは慶喜に大政奉還の意見書が提出された。


それを受けて慶喜は、10月13日、二条城二の丸御殿大広間に、在京していた40藩の重臣を集めて意見を聞き、15日大政奉還が成立したことで、一旦は討幕の動きは弱まったが、やがて江戸無血開城へと至った。》



テレビの映像からです。


④大広間 一の間・ニの前


《将軍と大名や公卿衆との公式の対面所。

大広間の主室であり、一の間(上段の間)、二の間(下段の間)からなる。

将軍が座る一の間は一段高く設けられ、ニの間に大名らが並んだ。


人形を使って将軍謁見の場面が再現されており、上段の間の将軍の右手に刀小姓(かたなこしょう)を従え、下段の間右手には老中、左手には高家(こうけ)、若年寄が控え、手前に諸大名が拝謁する。




一の間は、書院造りの特徴である床の間、違棚、付書院、帳台構を備えている。

対面の際には、将軍は一の間で南を向いて座し、床の間に三幅対の掛軸をかけ、違棚や付書院には工芸品などを飾ったとされている。


将軍の威厳を強調するため、部屋にはさまざまな工夫がされている。


一の間正面の「松図」

巨大な松は将軍の頭上で弧を描いて守護するかのような枝ぶりを見せ、左右の松は枝を大きく伸ばして将軍が座す一の間に向かい、下段から見上げる者は、将軍が実際よりも遠くにいるように感じさせ、近づきがたい存在として演出した。




将軍の頭上は、二重に天井を高くした二重折上格天井で、下段に座る大名らと将軍はいかに身分が異なるのが、部屋の造形上でもはっきりと示した。


ニの間の折上格天井


一の間の二重折上格天井



障壁画は一の間に錦鶏鳥(キジの一種)が、二の間に孔雀が描かれている。


一の間東側の帳台構に描かれた「松錦鳥図」


(左端)オスの錦鶏2羽が松の下の岩で、羽を休めている姿を狩野探幽が描写した。

錦鶏は中国の原産で、賞翫用として日本に持ち込まれた。》


将軍はこの帳台構から出てきたそうですよ。

「今夜はナゾトレ」では、一般には帳台構の中は約4畳のスペースになっていて、武者隠しとも呼ばれていたと言っていました。

敵襲があった時に、将軍は後ろに下がり、帳台構から警護が飛び出すようになっていたそうです。

一般的な仕掛けであって、実際二条城がそうだったのかはわからないそうです。



《上段と下段の境には黒漆塗の框(かまち・建具の部分に「横」に入れる化粧材のこと)と天井下に小壁が設けられて仕切られる。

二の間の壁面には「松孔雀図」が描かれ、三の間へと続く。


二の間の「松孔雀図」

青々とした枝を広げる松の下に、あでやかな羽毛を持った孔雀を配置。

舶来の鳥を描くことで、徳川家の富の大きさを象徴した。


また、長押の上の欄間には飛翔する鳳凰と牡丹が豪華に彫り込まれており、将軍家の冨貴を象徴する。


障壁画は狩野探幽筆。


狩野探幽(1602-1674)


江戸狩野派を率いた絵師。

徳川家康・秀忠に認められ、わずか16歳で幕府御用達の絵師となる。

二条城や名古屋城、大阪城、大徳寺などの障壁画を手掛け、狩野派の地位を不動のものとした。

寛永期前半頃までは桃山時代の絢爛豪華な様式を継承していたが、その後画風を一変。

余白を生かし墨の濃淡や線の太さを使い分ける淡白な様式を生み出した。》




二の丸御殿は建物自体は徳川家康時代の軸をほとんどそのまま使っていて、家光時代で大改修されました。

今は上下二段の間ですが、家康が創建した慶長期のこの場所は上中下段の3部屋に分かれていたそうです。

その名残りが部分的に残っていて、それは柱の太さが変わる所があるからだそうです。


梅林秀行さんが単眼鏡で見てはります。


美術館でこの単眼鏡で絵を見てはった人がいましたが、凄くよく見えるんでしょうね。


二の間の緑の裃を着た人(右端)の左の柱は太い。


一の間の刀小姓の左の柱は太い。


上段、中段、下段の境目が残っていて、おそらく太い柱の所に段差が設けられていて、家光の時代に上下二段に造り変えられたのだそうです。




今はもう修学旅行生や外国人などいろんな団体さんがガイドさんの説明を聞いていて、廊下はごった返しています。

音声ガイドで回ってる人もいましたよ。


人形を使っての再現はわかりやすいですね。

何年か前に行った時は改修中の時期だったからでしょうか、人形がいっさい置かれていなくて、その広さに感動しました。

一の間は48帖、ニの間は44帖(1帖は1畳=1.62m2)なのだそうです。

スパーーーンとして威厳がありながらも清々しい雰囲気でした。

それが心に残り、これもまたレアで良かったなと思っています。


今回はここまでです。


読んでくださり、ありがとうございましたおねがい