続きです。


神泉苑は平安京造営の際の禁苑。

現在は東寺真言宗の寺院となっています。


神泉苑内の境内案内図です。

画像はお借りしました。


大鳥居の前を通って先に弁天堂の方へまわりました。

「天満宮」の写真は撮っていません💦


「弁天堂」

《増運弁財天が祀られ、財宝を授けてくださる。

水音が弁天様が奏でる琵琶の音色に聞こえると伝えられる。

お姿は腕が2本の座像で、手に宝剣と宝珠を持っておられる。

屋根瓦にはナマズが掘られている。


江戸時代から境内の東南にあり、二重塔のそばの池中に社殿があった。

天明の大火で焼失したとされ、現在の弁天堂はその後再建されたもの。》



「鎮守稲荷社」

祭神は矢剱大明神


写真の左端に「宝篋印塔」が建っているのですが、これも気にとめていなかったので、写真に撮っていません💦


ここで通行止めになっているので、「狂言堂」「鐘楼堂」はわかりませんでした。

このあたりから池の方を見た眺めです。




「大鳥居」

御池通に面しています。


正面に善女龍王社が建っています。

通りを歩いていた何人かの女の子たちが大鳥居の向こうから中を見て、

「わー、かわいい」

って言って通り過ぎて行きました。

ツツジが目に入ったのでしょうね。

中に入ってくれば良かったのにね。

大雨だったからか人がいなく、ほとんど貸切状態でまわることができました。


善女龍王社の手前右に「恵方社」があります。

神泉苑にはアヒルがいるらしく、ちょうど右横に2羽が仲良く休憩?していました照れ

神泉苑のホームページには「あひるの部屋」というページがあります。

普段はいろんな所をウロウロしているようです。


「恵方社」

《恵方(その年の幸運の方角)におられる歳徳神(としとくじん)を礼拝する社。

毎年、方角を変えて祀る。

日本で唯一の社。方角は陰陽道によって決まる。

ご利益は家内安全、所願成就。


平成30年の台風21号により社が損傷したため、檀信徒の皆さんの多大な寄進により新しく造られた社。

以前同様に流造の総ひのき造。

屋根の銅板も一枚一枚丁寧に加工した伝統的な工法で、経年変化と共に緑青(ろくしょう)を帯び、味わい深いものとなる。》


毎年節分の日には縁起のいい方角に向かって恵方巻きを食べますね。

令和5年は南南東でした。

なのでこのお社は南南東の方を向いています。



鯉のエサが売られています。

どなたもおられないので、個人の良心によるものでしょう。


「アヒルさんは足をケガしています。あたたかく見守って下さい」

と書かれています。

あのアヒルさんかなと思っていたのですが、随分前からそう書かれているようです。


左に見える建物が「方丈(臨泉閣)」です。

《境内の西南角にある。この方丈は種智院大学(教王護国寺の境内にあった)より移築したものである。》





「善女龍王社」(ぜんにょりゅうおうしゃ)


前に東寺の空海と西寺の守敏とが雨乞いを競って空海が勝ったと書きましたが、祈雨が行われたのが、この神泉苑。


《空海が北天竺(インド北部のこと)の無熱池(むねっち・仏語。あのくだつ龍王が住むという、炎熱の苦しみがない池)から勧請した龍神を祀る。

雨と水の神である龍王の法雨により、悪霊、疫病、厄祓い、清泉によって五穀豊穣、商売繁盛、子孫繁栄、恋愛成就を叶える。》



また、神泉苑は源義経と静御前のゆかりの地です。


《静御前は巧みな舞と美しさで、都でも指折りの白拍子となり、寿永元年(1182)神泉苑での雨乞い神事では、奉納舞の100人の舞手のうちに選ばれた。

このとき99人の白拍子が舞っても雨は降らなかったのが、静御前が舞を披露した直後に大雨となり、後白河上皇より「日本一」と賞賛された。


やがて源義経に身染められ、「壇ノ浦の合戦」ののち、義経が兄頼朝と対立して西国に都落ちする西国にも同行した。

西国行きに失敗した義経は畿内を転々とし、吉野山中で静御前と別れた。

静御前は蔵王堂で捕らえられて鎌倉へ送られる。

義経の子を身ごもっていた静御前は男の子を産むが、頼朝の手によって、嬰児はその日のうちに由比ヶ浜で殺されてしまった。

このとき静御前はまだ18歳だったが、世をはかなんで尼となり、20歳の若さでこの世を去ったという。》


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも義経と静御前の話は出てきましたね。

あの時代は仕方がないとはいえ、頼朝はなんて酷いことをしたんだと思いました。



境内のあちこちに「神泉苑祭」と書かれた赤いのぼりが立っていますが。

神泉苑祭は毎年5月2日から4日で、弘法大師が勧請した善女龍王を祀る祭典です。


《宵宮が行われる5月2日の午後、大般若経六百巻転読祈願法要が営まれた後、夜には「よかろう太鼓」が奉納される。

3日は善女龍王社の前で祭典が行われ、雅楽の奉納がされると、夕刻からは法成橋の上で静御前が舞ます。

この橋の上ですね。


また神泉苑では、11月上旬頃に大念仏狂言が境内の狂言堂で行われます。


法成橋の上からの眺めです。

善女龍王社が見えます。


大鳥居の方です。


入ってきた北門の方へ。

北門の東側(写真では右側)は通行止めになっています。

高校の修学旅行で引率した男の先生と5人ぐらいの生徒のグループとすれ違ったのですが、先生がすれ違う時に

「すみません。むこう行けると思ってたら行き止まりでしたわ」

と言ってはりました。

池をぐるりとまわりたいですよね。



平安時代はもっともっと広い神泉苑でしたでしょうが、雨乞いをして降ってきた大雨は、この時の雨のようだったのかな、とても美しい景色やったんやろなと想像します。

雨乞いの神泉苑は、大雨の中が1番美しいのかもしれません。

私の勝手な想像です。



貞観5年(863年)に疫病が流行り、貞観11年には御霊会が行われ、全国の国の数にあたる66本の矛を立てて、神泉苑の池水で清められました。

これが現在の祇園祭の発祥となります。


祇園祭は7月1日から始まります。

もうすぐです!

今年も盛り上がるでしょうね。



この日の神泉苑の話はこれで終わりますが、前に行った時は桜が咲いていたので、次回は桜の神泉苑を書きたいなと思っています。


読んでくださり、ありがとうございましたおねがい