長女ハルカは、軽度の知的障がい者です。

みんなが同じ症状ではないのですが、”こだわりが強い”という特徴があることが多いです。

例えば、ノースリーブの黄色のワンピースが好きな女の子は、いつもその服でないと外へ出て行かないので、冬でもその服を着て、上からオーバーを着ていました。

ある男の子は、支援学校からバスで集合場所に帰ってきた後、決まって同じスーパーの自動販売機でジュースを飲み、気がすむまで家に帰ろうとしませんでした。

それを変えることは、なかなか家族でもできないことで、おかあさんたちは、ただそれを受け止めて、子供のしたいようにさせるしかありませんでした。

障がいのある子も、それなりに年齢と共に成長するので、状況は変わってはいきますが。


ハルカは、一見障害があるようには見えないんです。

生まれて1年すぎ歩く頃までは、 他の子と比べて遅いとは感じなかったんですが、2歳になっても言葉が出てこない。

こちらの言っていることが、まるでわからない。

滅多に笑わない。

無表情。

ほかの子と遊べない。

よく、子供の成長には個人差があるから気にしないようにとか、その子の個性があるからって言いますよね。

でも、そんな他人の言うことこそ、耳を傾けてはいけないです。

子供のことを1番わかっているのは、いつもそばにいて、いつも見ている母親なんです。

母親の直感が、正しいのです。


まわりの人たちには、思い込みの激しい性格の私の心配しすぎと言われ、あのころが最も辛くて、よく泣きました。

誰にも、苦しい気持ちを理解してもらえなかったんです。

感情が爆発してしまい、正直なんでこんな子が生まれてきたんだろう!って、思うこともありました。


市の半年ごとの検診には行き、成長や環境に ちょっと問題のある子供が行く親子教室には通っていました。そこの先生に、小学校の支援学級に入ることを勧められました。

私は、先生たちに特別目をかけてもらえるということで安心し、よろこんで話を受けました。

ところが、これに納得してくれないのが、小学校の当時の養護学級の先生でした。面談に行ったときに、私がハルカの様子を話するひとつひとつに、例の、

「いやぁ おかあさん。そんなんまだまだそんなもんですよ。気にしすぎですよ。」

でした。

でもここで、「そうですかねぇ、じゃあやめときます」と引き下がるわけにはいきません。

「もしハルカが何かあって学校に行きたがらないことにでもなったらどうしてくれるんだ」とは言いませんでしたが、それぐらいの勢いで、泣きそうになりながら、養護学級に入れて欲しいと気持ちを訴えました。

先生は2人おられたのですが、もう1人の先生が、

「1度入って様子を見て大丈夫になったら抜けたら?」

とおっしゃって下さり、入ることができました。

結果、ハルカなりには少しずつ成長していきましたが、卒業までずっと在籍していました。

5年生の冬頃、1度正式に知能検査を受けることにしました。

中学校の養護、今は支援学級の先生というのは、その年にその学級を受け持ってくださいと辞令が出て、普通はクラスの担任をされておられる先生なんです。

ですから、障害者やその施設などについて専門な知識は持っておられないんです。

どこの病院がいいのか、どんな手順で行けばいいのか、今でこそわかりますが、当時はそれも簡単には進みませんでした。

運よく同じ学年のおかあさんに詳しい人がいて、いろいろ教えてもらいました。

その人の子供がかかっていた、こどもクリニックに行くと、またそこでも、

先生はハルカを一目見て、

「この子はそんなふうには見えない」と言って、検査に気がのらない様子なんです。

ここを教えてくれた人が、ハルカを小学校の支援学級に入ることを勧めてくださった親子教室の先生と、この先生がお知り合いなので、名前を出すと早いと教えてくれていました。

ここに来るまでの経緯を話す中に、その先生の名前を出したとたん、

それまでのぞんざいな態度とはうって変って、本腰になって検査をすることを進めてくれたのです。

コネではないのですが、なんか表裏を見たような気がします。

そういうことがなければ、あのまま冷たい扱いを受けていたのかな?と思いました。

ともかく、またひとつ壁を乗り越えたみたいで、むしろ私とハルカは運がいいのかもしれません。


検査には2種類あって、この時は簡単な方で行われました。

その時の結果は、障害者と健常者とのボーダーライン上にあると言われました。

その他こだわりが強い。例えば、

「どこか外出する予定がある時には、もしかしたら都合で行けないかもしれない、という事を必ず言うように」

でした。

そのとうりで、その日はラーメンに行こうとして駐車場がいっぱいで入れない、マクドに変えようとしたら、もう小さい子供のように駄々をこね、泣きだすしまつ。その時マクドにしても、次にラーメン屋に行くまで、行きたい行きたいを繰り返すんです。

19歳になった今でも、軽くどこかに行く話をする時は注意をしています。


ほかにも、

想像することができない。

人の話や物音に落ち着かない。

という結果もありました。

「でも、この子は勉強など、自分が持っている能力を全て出し切る、努力している、この調子で」と言われました。


中学校に上がる前に療育手帳を取得することにし、その時には前よりも難しい検査をしました。

判定は、軽度知的障害。B2。

今度は、はっきりと結果がでました。


私の判断が間違っていなかったこと。

ハルカが、この先まわりの人たちに理解してもらえること。

私は、ようやく長かった苦しみから解放されたような気持ちでした。

ハルカ本人にとっては、障害は苦しい問題かもしれませんが、私たち親にとっては、なんの問題もありません。

ハルカはハルカ。

大切な大切な娘。



こだわりの強い ハルカ。

食べ物に関していえば、納豆が大好きで必ず晩御飯に食べる。

キムチは絶対納豆の上にかける。

白ごはんが好きではないようで、キムチはのせない。

丼もご飯と上にのせるおかずを分けて食べる。

大好きなマグロの刺身は、絶対刺身で。

などなど。


ハルカの大好きな中華のメニューは、麻婆豆腐と餃子。

王将へ行っても、私の働いている店のものでも、これしか食べない。

あとは、せいぜい唐揚げぐらい。

麻婆豆腐は大好きでも、麻婆丼はありえないです。





そのハルカが、自分で作った麻婆豆腐。

ハンバーグよりも簡単と喜んでいました。

おいしかったです。


ごちそうさまでした音譜



私のニックネームの、ぷりん@JIN のJINは、赤西仁 のことです。

元々は、クックパッドに登録する際につけたのです。

実は、アカウントのニックネームを考えるのが、いつもめんどうくさくて。

適当に ぷりん と大好きな JIN を合わせたのです。


赤西仁。

「世界で最も美しい顔100人」の 83位に選ばれていましたね。ラブラブ

キアヌ・リーブス.と共演した映画で、知名度が上がったんでしょうね。

ほんと、美しい顔、です。

少々、あごに難ありですが…( ´艸`)