『楽園のカンヴァス』原田マハ著 | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

「強み」と「思い」の言語化で、「野望実現」を引き寄せます。 ホンマルラジオ愛知局【TOMOKO のあなたの野望を聴いてみ隊】パーソナリティ

 

原田マハさんという作家を知ったきっかけは、2013年に日本で巡回展が行われていた『貴婦人と一角獣展』。 東京開催を前に、特集が組まれたテレビ番組(『日曜美術館』だったか?)に出演されていたのが、マハさんだった。

 

 

当時、東京へ行く機会があって展示を見ようと、会場となった美術館へ足を運んだものの、その日が月曜日(休館日)だったことを失念。無駄足となり、展示そのものも見ることができなかったというエピソードがあり、今も記憶に強く残っている。

 

 

 

そのマハさんの小説 『楽園のカンヴァス』に出会ったのは、今年の初詣の帰りに寄った書店。 扉に記されていたガードルード・スタインの『アリス・B・ラクラスの自伝』の引用文にものすごく惹かれた。

 

 

 

物語は、アンリ・ルソーの作品『夢』 をめぐって、2000年の倉敷、1983年のバーゼル、そして1906年のパリを舞台に繰り広げられるミステリー。

 

 

 

時は、2000年。倉敷の美術館で「一介の監視員」をしている早川織絵が、ある日「上の人」に呼び出され、パリ出張を命じられる。織江は前職と過去を封印(「パンドラの箱」と呼んでいる)、故郷である倉敷で静かに年老いた母と反抗期の娘と3人で暮らしていた。

 

 

 

「監視員」というのは、博物館や美術館などの展示室の隅っこのパイプ椅子に座って監視しているあのお仕事をしている方たち。何人かのシフトで、時間ごとに順番に部屋を交替して、展示品を守るのがお仕事。

 

 

 

そのお仕事をする人たちに「出張」が命じられることは「通常」は無い。なぜ彼女に「パリ出張」が命じられたのか、しかも、ニューヨーク近代美術館のチーフキュレーターであるティム・ブラウンじきじきの指名なのである。

 

 

 

それは彼女の前職と深く関連している。

 

 

 

織絵はかつて、ソルボンヌ大学で美術史を学び、最短コースで博士課程を取得した新進気鋭の「研究者」だったのだ。パリ時代には数多くの論文を発表し、「美術史論壇を賑わせた」人物なのである。

 

 

 

その彼女と、ティム・ブラウンには何があったのか。そして、それほどまでに前途を嘱望されていた彼女が、今、日本の倉敷で「一介の監視員」をしているのか…?

 

 

 

そして、物語は1983年のニューヨークからバーゼルへと舞台を移す。

 

 

 

とある富豪が手に入れた、アンリ・ルソーの「マスターピース」の真贋を依頼されたティムと織絵。その方法は実に奇妙なモノである。

 

 

 

実は、このバーゼルでのエピソードの間、織絵の娘の父親は、ティムなのではないか、と思い、がっかりしていた。なぜなら、それではあまりにも物語が短絡的だからだ。

 

 

 

 

2000年に織絵とティムという二人の“かつての恋人”が再会し、織絵と娘がニューヨークに呼び寄せられ、めでたしめでたし…なのかと。

 

 

 

ところが、それではあまりにも短絡的すぎる、と私自身も感じたように、もちろん違う結末が待っていた。しかも、まだ伏線はいくつも用意されていて、最後の最後に「なるほどっ!」と思わず膝をつくようなエピソードも用意されていた。

 

 

ミステリー小説とは、「答え」という宝物を探す、宝探しのような趣があるが、『楽園のカンヴァス』には、「宝物」はたった一つではなく、いくつも用意されていて、小説の終盤には散りばめられた宝物を見つけるたびに嬉しくてワクワクするのである。

 

 

 

私的には物語の最大のクライマックスは、大富豪の正体が明かされたときである。愛だの恋だの、という浮ついた空気は一切流れていないのに、どこかしら淡い恋心のような、ふんわりした甘いトーンを感じられる理由が、ココにあったのか、と「自分なりの宝物」を発見した気分になった。