改めまして、初めまして
潜在意識リーディングの、ラムールアンフィニTOMOKOです
宇宙に応援される生き方を提案しています
初めまして…の方に、自己紹介させていただきますね
1965年生まれ (2017年11月現在 52歳)
大学を卒業後に予備校に就職。中部地区(名古屋・豊橋・岐阜)の大学受験科(いわゆる“浪人生”⇒略して「大受」)の指導と、高校・大受の社会科担当。7年間の予備校職員時代の「生徒面談数」はのべ1000人以上(窓口&電話対応は除く)
予備校退職後に、大学院聴講生や通訳学校を経て、中国語通訳ガイド試験に合格。…と同年に実母が認知症を発症。同年父方の祖母も怪我が原因で要介護となる。自身も介護うつを患う。
2005年、中国語通訳に正式デビュー。専門外(法学科出身、中国語は第二外国語)、長期留学経験無し(1ヶ月の短期研修は3回)、実績ゼロ(通訳を含む中国関連の業務経験無し)、からの中国語デビューは異例。
大手自動車メーカーの研修通訳、半導体メーカーの台湾人派遣チーム通訳、病院の交流事業通訳、自治体事業の「外国人おもてなし研修」講師など。
2011年の東北大震災をきっかけに、日本人の高い精神性を再認識。大好きな日本の良さを外国人に発信したいと思って始めた通訳業務だったが、日本人自身が日本人の精神性の高さ、素晴らしさをもっと強く認識できるような活動をしたいと考え始める。
2013年一般社団法人日本コミュニケーション機構認定講師に
2014年同社団 シニア認定講師に
2015年北平純子女性起業塾立ち上げにかかわる(事務局担当⇒事務局長へ)
2017年インターネットラジオ ホンマルラジオ名古屋(現ホンマルラジオ愛知)局 パーソナリティとなる ~現在に至る
大学の時に中国語を選択したのは、大学のサマーセミナーに参加したいなと思ったからでした。1980年代半ば当時、サマーセミナーだったりも今ほどメジャーではなかったし、ましてや中国なんてほとんどなかったんです。
私はもともと日本の古代史が好きで、特に奈良時代に興味がありました。遣隋使や遣唐使を通して日本の「国家」の原型ができた頃。その「隋」や「唐」という国を自分の眼で見てみたいと思ったんです。
当時は、日中の国交が正常化してまだ間がない頃でした。これからどんどん近代化して発展していく中国の「今(1980年代)を見ておきたい!」という気持ちがなぜか強かったんですよね。それは、今考えれば、正解でした。あのころの中国を肉眼で見、自分の身体で感じておけたことはとっても貴重な体験だと思うからです。何せ、現在の中国の若者は知らない「中国」の姿ですからね。
でも、まさか学生時代には「通訳」になるなんて1ミリも考えもしませんでした。ちょろっと会話できたら楽しいかも、ぐらいの感じで。
しかも「中華人民共和国」には特に興味がなかったし…。私が好きだったのは、隋とか唐とか漢とか…古代中国だったからです
大学を卒業して、予備校職員になって。
5月病を体験したり、休みたいなあ~とシフト表を見て、苦手な人が休みだったら、「もったいない!」と出勤したり
遅番が無い日には、なんの相談もなく、「先にお昼行って来ますね~」なんて、一人残されるというあからさまな嫌がらせを受けたりしたこともありました。
1つひとつのコトはほんの小さなことで、それ自体「我慢できない」なんてコトは無かったけれど、それが、積み重なって真綿で首を絞められるように、気が付けば息ができなくなっていく。 そんな「勤め人」時代も経験しました。
通訳になったらなったで、やたらトシだけは行ってる(すでに40歳)から、経験あると思われて、でも実力無いから「無能」扱いされたこともあった。
辛いことはいろいろあった…ことはあったけど、今考えれば、良いことや楽しいこと、嬉しいこともたくさんありました。
初めての通訳現場で迎えた40歳の誕生日。
若い男性(20代から30代の中国人研修生)たちに、生協で買って来たチョコパイでお祝いしてもらったこと
業務を終えて帰ろうとしたら、車で工場内を移動中の人事担当の人に「ありがとな~! また来てや~!」と大きな声で言ってもらえたこと。
通訳現場で出会った方々と今も交流があること。
母が認知症になったとき、祖母も介護が必要になって、「どうして自分が…」 と思ったけれど、30代で経験させてもらえたからこそ、そこからリカバーできた、と今では感謝しています。
「このままではダメだ!」と思ったからこそ、もう一度中国語の道を歩き始めることもできた。
「ゼロ」スタートで中国語通訳になれて、あきらめなければ夢は叶う
と知ったから、「TOEICで800点取れたら韓国語を始めよう!」という意味不明なハードルも1年かけて超えることができました。
泥臭く努力して来たからこそわかることもあります。
波動の高い場所…といわれるところ、例えば、景色の良い山とか海とか川とか…
パワースポットで瞑想してたって、夢は叶いません!
もちろん、「全くの無意味」とはいいません。思考の整理には大変役立ちます。
でもね、
やっぱり行動することなんです!
何をすればいいのかを知るためには、今何が必要なのか、今何をしなければならないのか、そして、最終目的地はどこなのか、
とことん自分と向き合って、自分の中の答えを見つけ出すこと!
そして、必要な行動を起こすこと。
でも、何をしたらよいのかわからない…
そこが問題。
何をしたいのか、わからない
ってこともあるよね。
ホントはわかってる。
だけど、
理性が…
一般常識が…
世間の目が…
っていう
顕在意識が邪魔するの。
〇〇しちゃいけない
△△はできない
××でなきゃいけない
ってね。
でもね…
こどものころからの環境や親からの教育で、「本当の自分を出しちゃいけない」って思っている人多いんですよね。
これって、決して「ダメ」なコトだったり、「イケない」ことなんかじゃ、ないと思う。
一旦、そこは通過してもいいんだって思う。
だからこそ、の「次はどうなりたい?」なので。
だけど、顕在意識が強すぎて、本当の自分を思い出せない。
今、自分がどういう状況なのか、が見えない。
そんな方と話しをしていて、「こういう状況ですよね~」ってよく例えてお話をさせていただくと、
「わかりやすい!」
「そうそう!」
「そう言ってもらえて、次にどうすればいいかわかった!」
って言っていただくことが多かったんです。
私って例え上手!
って思ってた。
そう、「思い込もう」としてたかも。
だけど、告白します。
私、視えてました
霊感ないし、ソレ系のコトが見えたりしないし
「コレは違う」って思ってたんですが…
いやいや、しっかり「映像」見てました。
それを伝えているだけだった。
意識してなかったから、そういうの。
でもね、少しずつ意識し始めたら、毎回「視えてる」んですよね。
いきなり、「後ろの人」が見えたりはしないんですよ。
お話を聴かせていただいているうちに、ぽわ~ん と浮かんでくる。
それが、感情というか感覚と一緒に現れてくる。
痛いとか怖いとか、楽しみとか苦しいとか…。
共感性というのともちょっと違うかも、だけど。
それをお伝えするとね、「笑っちゃう」んですよね、相手の方。
最初は「ぽっかーん」なんだけど、笑って「そう、そう! そういう感じ~っ(笑)」って。
笑うってすごく大切な儀式で、笑うことで一歩踏み出す勇気が湧いてくるんですよね。行動を起こせなかった人も、一歩の勇気で「何かをほんの少しだけ行動する」ことができる。
これが「癒える」ってコト。
今まで、私、自分のことを「ヒーリング」とか「ヒーラー」とかっていう言葉と全く対極の人間だと思ってた。
ホロスコープでもね、「天職」のところに「ヒーラー」ってあっても「無いわー」って思ってた。
だけど、決めました
勇気を出して、「ヒーラー」を名乗ります。
まだ、慣らし運転ですが…
やります!ヒーリングセッション。
興味ある方は、LINE@にご登録ください。
お読みくださり、ありがとうございました