与えられた環境で最善を尽くすこと | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

「強み」と「思い」の言語化で、「野望実現」を引き寄せます。 ホンマルラジオ愛知局【TOMOKO のあなたの野望を聴いてみ隊】パーソナリティ

家人の付き添いで病院に行って来ました。

先週、突然病院に行くといい出し、

検査を受けることになり

まずは、診察ってことで(←や若干順序が変なのは、スルーしてください

夜、予約の手配をお願いし(←ここも、スルーでお願いします)

翌日、予約が取れました(←ここも、スルーで



お世話になったのは、お仕事でご縁をいただいた

地域のとある病院。


私も数年前、何度も飛び込み(・・・というか、先生に直接連絡)で診察をしていただいたり

担当の先生が外来では無い日に診ていただいたり

とお世話になっていました。


自分が病気でお世話になった時には

ありがたいと思いつつも、

イレギュラーで診ていただくことに

ご迷惑をおかけしながら、ご好意に甘えるという

申し訳なさが先に立っていたけれど


こうして、家族がお世話になると

ただただ、ただただ、ありがたい

そういう気持ちになります。



通訳というお仕事は

ただ、言葉を仲介して両者の意思の疎通をはかる

というダケではありません。


もちろん、その任務に徹することが必要な場合もあります。

ですが、私がさせていただいていたような現場では

意思の疎通はもちろんのこと

両者の「想い」みたいなモノも察して

その「マインド」的なモノも伝えて行く

ことが(暗に)要求されていたことが多かった

・・・という気がします。



中国語通訳としては、へっぽこな私が、

何度もリピートして使っていただいたのは

「企業マインドを伝える」ことを重視していたから、

ではないか、と思っていました。



現場の「想い」みたいなものを

「感じ」て、「持って帰って」もらう

ということ。


ドラッカーの本の中で

ある日本の有名メーカーの「有名なマインド」が

紹介されていました。


それは、私がかつて現場で通訳をする際に

私自身が必要だと感じて、日本語の参考書を買い、

中国語で出されている訳本を買い

両者付き合わせて、自分なりの訳語リストを作ったり

して勉強したことがありました。


もちろん、それは私が勝手にやっていたことで

それに関しては通訳料も翻訳料も出ないし、

経費で落ちるということもありません(←やり方次第では落とせたかもしれないけど)

でも、それが私の中の「最善を尽くす」ことの一つの表現だった

のだと思います。


私の中には当時「最善を尽くす」という意識はなくて

ただ、少しでもわかっていたほうが現場でまごつかずに済む

という、左脳的な判断でしていたことでした。

でも、右脳はちゃんとわかっていたようですね^^


現場の空気を良くする、ことも私が重視していたことです。

お仕事の最後にある方にいわれたのは、

「通訳の機嫌を気にしなくて済んだから、よかった」

ということでした。


私には全く信じられないことですが、

通訳さんがへそをまげて、ご機嫌を直してもらうのに苦労して

現場の研修が止まったりしたこともあったそうです。



私は、通訳の仕事は「通訳がいると感じない」ぐらいになってもらったら、成功だな、と思っていました。

日中の両者の会話が盛り上がって、

「ちょ、待って!通訳は一人しかいないんだから、同時にしゃべらないで~

って思う瞬間が何度かあって



それはそれで大変だったけれど

通訳がいることを忘れて、

「自分達で会話している気分」

を味わってもらってるんだと思うと、

すごく誇らしい気持ちになりました。


病院のお仕事の時には

訪日される先生のプロフィールを拝見して、

診療科の概略をつかんだり

会話に出て来そうな用語をあつめたり

そういったコトは通訳の前準備として

当然させていただきました。


また、可能であれば

歓迎宴や送別の宴席で出されるお料理のメニューをうかがい、

かんたんにお料理の説明ができるようにしたり

英語で日中間の会話が始まれば、英語を解さない方に

(私がわかる範囲で)中国語でウィスパリングしたり

もしていました。


もしかしたら、私がしていたことは

中国語通訳として逸脱しているのかもしれない

と思うこともありました。



日当も、宴席の2時間のお仕事とさほど変わらない金額で

交流期間の5日間を、ほぼ休憩無しに

1日約12時間働いていました。


体力的にもキツかったけれど

続けられた理由は、ただ一つ。

その時間が楽しかったから。


担当される総務の方や、

院長先生を始めとする先生方

来日される中国の先生方にお会いする

毎日、毎日がとてもとても楽しみでした。



普段お目にかかることが無い

病院のお医者様とお話したり

病院のお話をうかがったり

日中の現状の違いなどをうかがったり

そういったことが、すべて楽しかったのです。


体力的にも能力的にもホントにキツかった。

ホントのホントの専門的なことは、

先生同士が英語でお話されるので

大丈夫でしたが、一般的なお話の時でも

結構専門的な用語が多くて

保険制度や診療報酬の話しは毎回困っていました。


数年前から日中関係が悪化して

ついには交流が(SARSの時以来)再度中断することになり

とても残念な状況になりましたが


それでも、あの何年間か必死でがんばったコトは

ちゃんといろいろな方に伝わっているのだな

と今回、実感しました。


もし、自分が今の環境で不満があったとしても

それはそれとして

今の自分にできる最善を尽くすこと

は、自分の未来にとって、とてもとても大切なこと

なのだと思います。


今、起きている出来事に対して、

今、目の前にいる人に対して、

今、自分ができる最善のコトはなんなのか?


常にそれを考えて行くこと

そして、そのとき採った選択肢こそが

そのまま、「未来の自分」を創り出していく、

そんな風に思います。


与えられた環境で最善を尽くすことは

現状を唯々諾々と受け入れ、

手をこまねいたまま何もしない

ということではなく、

積極的に状況を打開する手立ての一つではないか

と、私は思うのです。


誰も見ていないところで

最善を尽くすこと

それをどこまで徹底してやれるか

もっと大切なことは

それを「楽しめる」か。


そこを神様は見ていらっしゃるのだと思います。