『上村松園展』@ 名古屋市美術館~人生初!「絵を見て泣いた」日 | 【名古屋】魂の覚醒と思いの言語化で野望を実現

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名古屋市美術館で開催されている、『上村松園展』に行ってきました。
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さわやかな名古屋市美術館。



松園展には、行こうと思っていましたが、今朝突然、「行くぞ!」 って決めました。


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あでやかな美人画。


こんなきれいな美人画を描く人の展覧会で、人生で初、「絵を見て涙を流す」という体験をしました。


松園さんについては、あまりよく知りませんが、ただ優しくて美しいダケじゃない、女性の情念とか強さとかそういうモノを感じる絵だと思っていました。


確か、以前TVの特集でお孫さんだったか? のコメントで、松園さんの晩年の姿を「ひがな一日、絵に覆いかぶさるようにして描いていた姿しか覚えていない」とおっしゃっていたような。


日本画というのは、床に置いて描くのだと改めて気づいた…というか、初めて気づいた、ように思いました。絵を描くときにかかる身体の負担と、絵の大きさを考えたら、絵に対する執念のようなモノを感じないワケにはいきません。


きれい、きれいな洋画も大好きです。夢のようなロマンチックな絵画も。


でも、実は人間のおどろおどろしい情念を描いたものや、浮世離れしたような人がふと見せる人間らしい一面を切り取ったような、そういう「人間臭い」絵が好きなのかもしれない…と、気づきました。


そして、それは、油絵のようなこってりした画風ではなく、水墨画や、いわゆる日本画のような、あっさりとした色彩の中に描かれる感じのモノが好きなようです。


曾我蕭白のようなおどろおどろしい画風の人も結構イケるのは、そういう事かもしれません。


私がしばらく動けなくなった絵、その1

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「花がたみ」という作品です。


何も予習していなかったので、どういう内容の作品なのか、最初はわからず。


それでも、彼女の表情(特に少しゆがんだ口)から目を離すことができなくなりました。


そして、焦点を失った目。


愛する人(継体天皇)と引き離されて、恋しさのあまり精神のバランスを失ってしまい、ふらふらと歩く女性(照日前)です。


女性がたった一人描かれているダケなのに、驚く様子の帝、そしてそのお付の人達の動転ぶりが目に浮かんできました。そしてぶつぶつと謡いを唱えながらふらふらした足取りで、帝に近寄っていく照日前の声と、衣のすれる音までも聞こえるようでした。


「絵」というのは当然「静止」しているモノですが、まるで映画を見ているように、情景が鮮やかに浮かんで来て、彼女の心の動き、というか。正常な精神状態を失って、「あちらの世界」にいる人が、一瞬だけ「こちらの世界」に戻って来る瞬間。虚脱感の中の一瞬の現実感というか、生気というか、その直後の様子…という気がしました。


会いたい会いたいと思っていた愛する人が目の前にいる。「あっ!」と気づいた時の大きな喜び、その次の瞬間には、「もう同じ世界にはいない」という現実にも気づきます。喜びが大きかった分だけ、悲しみも大きいのでしょう。再び、虚無の世界に堕ちていく…そんな気がします。


いろいろな情景が見えたり、音が聞こえて来たりで、しばらくそこから動くことができませんでした。


なんとな~く音が聞こえてくる…情景が浮かんでくる…みたいなのはありましたが、ここまではっきりと鮮明に感じたのは初めてでした。


実は、この絵の前で泣いたのではありません。


我慢しました


そんな不安定な気持ちのまま、2階へ上がり、「母の追憶」というコーナーに行ったところ、最初の一枚「お月さま」を見た瞬間、じょわ~っと感情があふれ出しました。


赤ちゃんを抱いて、月を見ている母親の姿。なんて平和で、美しくて、愛しい光景でしょう。


ヤバい、ヤバい  と思っていましたが…


次に展示してある「青眉」を見たときには、ついに涙があふれてしまいました。


明治の時代にシングルマザーとして、女流画家として生きていた松園さんにとって、彼女自身や生活すべてを支えてくれていたお母さんは、どんなにか大きくて、心強い存在だったことでしょう。そのお母さんを失ったとき、大きなショックを受けたことだと思います。


ところで、今回の展示には無かったと思いますが、自分がすごく好き…というか、気になる絵が松園さんの作品だったと気づきました。


それは、「焔(ほのお)」という作品です。


東京国立博物館コレクション『焔』


謡曲「葵上」に想を得て、源氏物語に登場する六条御息所の生霊を描いたとされる作品です。


めっっっっっちゃ怖いです!(怖すぎて、松園さん本人が「な、なんでこんなん描いちゃった?」とびっくりしちゃったぐらいです)


でも、その怖さの中に、愛しい気持ちが湧いてくる何かがあります。


学生時代から『源氏物語』が大好きでした。


学生時代…というか、つい最近まで一番好きな女性は紫の上、一番嫌いな女性は六条御息所でした。


御息所の生き様は、女性として、みっともない、と思っていました。年下の男性であるに夢中になりすぎて、生霊となって正妻の葵の上を憑り殺してしまう…なんて、ありえないでしょう! と。


その点、紫の上はいつもつつましやかで光源氏に愛されて、最後はちょっと悲しい最期だけれども、きっと幸せだった…と。


若かったですね! 私


今は、六条御息所が紫の上を抜いて、ダントツ一位です。


格好いいとは今も思っていません。


すごく「あさましき(←古文的な意味で)」女性だと、今も思いますが、そこが愛しいと感じるようになって来ました。


ま、そういうこともあるよね~、って感じです。


若いときには「ありえない!」って思ったことも、「ま、そういうこともあるよね」って思うことが増えてきました。


そうやって生きていると、「人間って、どんな人でも、一生懸命に生きている。そして、その姿は本当にいとおしい」と思います。


今日は、素敵な1日でした。


長い文章を読んでくださってありがとうございました。