小学生で母を亡くし
その後、不登校、摂食障害、うつ病、結婚、不妊治療、離婚。
その後、再婚したものの再度、不妊治療を経験しました。

 

ようやく授かった子どもなのに、今度は子育てが辛くて悩みました。

 

 

 

母が倒れた時からの人生の振り返りを綴っています。

 

最初から読むにはコチラ↓

【人生の振り返りシリーズ】①母が倒れた

 

 

自傷行為などの表現を含みます

苦手な方、影響を受ける可能性がある方はここで引き返してください。

 

 

退院後も続くうつ状態

1度目の入院から退院して自宅に帰り
しばらくはマイペースに過ごしていました。

 

好きな時間に起き、少し元気な時は外出をしたり
自由に過ごしていました。

 

退院後、少しの間は食べられていたのですが
また、だんだんと食べられなくなっていきました。

自傷行為は、ほとんど毎日続いていました。

OD(大量服薬)もやりました。

病院でもらっていた、抗うつ剤、精神安定剤、眠剤を溜め込んでいたんです。

どのくらいの量だったのか…

50錠もなかったと思いますが一気に飲みました。

 

すぐに親に気づいてもらい病院で胃洗浄を受けました。

私は気づいたら病院のベッドの上でした。

 

これくらいじゃ死なないんだな

 

って思いました。

 

でも、無意識に、ちゃんと死なないようにやってたんですよね。

親に気づいてもらえるように。
気づいてもらえる時間に、気づいてもらえる場所でやったので。

 

 

元夫との出会い

ODをやったこと、過食嘔吐が続いていることで
希望入院という形で入院が決まりました。

 

1度目の入院から数か月しか経っていませんでした。

 

入院のベッドが空くのを待っている期間で元夫と出会いました。

7歳年上の元夫は、当時の私から見ると「大人」で
とても頼りになるように見えました。

 

摂食障害であること、入院が決まっていること
自傷行為など全てを知ったうえで
交際がスタートしました。

 

入院したのは、それから1週間後くらいでした。

 

 

2度目の入院

1度目の入院ほど拒食状態は酷くなかったので
入院後、少しずつ自己誘発嘔吐の回数も減っていきました。

食べることも出来るようになっていきました。

 

それでも、やはり波はあります。

 

うつ状態の時の感情は、基本的にジェットコースターです。

 

調子がいいと思った、数時間後にはどん底になっていたりする

何がきっかけなのか、自分でもわかりません。

コントロールは出来ませんでした。

 

 

落ちてしまったら、波が通り過ぎるのをただ待つだけ。

ジッと耐えるしかありませんでした。

 

この時間がとにかく辛く
落ちたときに自傷欲求が出てくるので
自分だけで抑えるのは、なかなか困難でした。

 

「止めなければ」と自分でも思っているので最初は我慢します。

でも結局、やってしまう…

 

また我慢できなかった。自分はダメだ…

そんな風にどんどん自己肯定感を無くしていきました。

 

まさに負のループです。

 

波がきたときは頓服を使って、とにかく寝るを選択していました。

 

寝ている間だけは何も考えずにすむので
当時、1日のうち半分以上は寝ていたと思います。

 

私が過眠になるタイプだったのと
精神安定剤や抗うつ剤の影響が大きかったと思います。

 

体力もありませんでしたから、身体が睡眠を欲していたのかもしれません。

 

 

今回も入院期間は1ヶ月と決まっていました。

退院が近づくにつれて不安定になっていきました。

 

当時、ホントに「家」がダメだったんです。

「家に居ること」が私の不安を引き起こすトリガーになっていました。

 

 

元夫からの提案

退院が近づくにつれて、どんどん不安定になっていく私をみて
元夫が【一緒に住む】という提案をしてくれました。

家から逃げたい私は、もちろん「行きたい」と思いました。

 

当時19歳、生活費など何も知りません。

まさに勢いだけでした。

 

父に話せば反対されるに決まっている。

 

退院後、父に話す前に、相談をしに行きました。

父方の遠縁の親戚だったのですが、家が近所だったこともあり
母親のように日頃から交流がある女性でした。

 

不登校になったり、摂食障害になってからも
元気な時は時々、家にいって話を聞いてもらっていました。

その女性は、元夫と暮らすことに賛成してくれました。

 

父に「家を出たい」と話した時、予想通りの大反対でした。

 

しかし、元夫が挨拶に来てくれたこと、

その女性が父と話してくれたことで
1ヶ月もしないうちに私は元夫が住む隣県のマンションに住むようになりました。

 

 

新生活のスタート

実家を離れて父の目を気にしない生活というのは解放感でいっぱいでした。

 

元夫は7歳年上の社会人でした。

 

19歳の子どもの私から見ると、彼はとても大人で
彼と過ごすこと、行く場所、どれも知らないことばかり

毎日がとても新鮮でした。

 

私は、あっという間に元気になりました。

 

父とは定期的に連絡はとっていましたし
時々は実家に帰っていました。

 

元気になっていく私を見て、
父は私たちのことを見守ってくれるようになっていました。

 

元夫と一緒に住むようになって
1ヶ月も過ぎた頃からアルバイトも始めました。

 

アルバイト先は、とても人間関係が良くて
先輩方には可愛がってもらいました。

 

一緒にご飯に行ったり、お茶をしたり
知らない土地で1人で過ごす時間も長かったので
知り合いが出来るというのは嬉しかったです。

 

 

 

今度は元夫が倒れてしまった…

元夫と一緒に暮らし始めて1年も経たないくらいで
元夫が過労で倒れました。

 

夜勤もあり、休みの日の呼び出しもあり
1週間以上休みがないこともあったので
当然のことだったかなと思います。

 

元夫が仕事を辞めることになり
私たちの生活はどうするかという問題になりました。

元夫に養ってもらっている形だったので
元夫が仕事を辞める=生活できない状態でした。

 

この時、父から

元夫も一緒に実家に戻ってきたらどうか?

という提案がありました。

元夫と一緒にいることで私が元気になったので
私1人が実家に戻って
また同じ状態になるのも怖かったんだと思います。

 

元夫も同意してくれて、
私たちは一緒に実家に戻ることになりました。

 

この時の選択が良かったのかどうか
今でもわかりません。

 

一緒に実家に戻ったことで
助けられたことも多々ありましたが
自分で自分の首を絞めた部分も大きかったなと思います。

 

 

再び実家での生活

実家に戻ってみると
1度実家を離れたことによって
弟との関係は改善しました。

 

程よい距離が取れたのが良かったのかなと思います。

 

元夫がいることによって
家族の関係性も徐々に変化していきました。

 

 

ただ、ずっと平和に過ごせたわけではありません。

 

他人が一緒に住むということは
やはり色々と不満も生みます。

 

元夫は、かなりの自由人で
縛られることを苦手とする人でした。

 

実家に住むようになって、すぐに仕事は決まりました。

 

仕事は真面目に行っていましたが
それでも深夜まで起きていたり
生活リズムはあまりない人でした。

 

彼のペースと父のペースがなかなか合わなかったんです。

そうなると、当然、私が間に入ることになります。

その積み重ねが原因で、摂食障害が再発することになります。

 

 

続きは、また書きます。