今日は、高校生になってからのことを書いていきます。

ここから「不登校」「拒食症」が始まっていきます。

 

ここからの数年間は、辛すぎて記憶が曖昧な部分も多いですが
私にとっては、とても苦しく、二度と経験したくないけれど
とても大切な数年間です。

 

私はこの経験を、高校生という早い時期に経験出来て良かったなと思っています。

 

・高校生という守ってもらいやすい年齢だったこと

・学校の先生方、多くの方に関わってもらえたこと

早く経験したことで、その後の人生が変わったなと思っています。

 

あのまま生きていくことの方が、今よりずっと辛かったと思います。

 

 

高校生活は順調にスタート

無事、志望校に入学して、順調に新生活をスタートしました。

 

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1学年400人。

 

同じ中学から進学した子もいましたが
仲のいい子は1人もいなかったので
ほとんど誰も知らないところからスタートしました。

 

中学と同じソフトテニス部にも入部して
友達も出来、とても忙しく、充実した毎日を過ごしていました。

 

6月にあった文化祭では、実行委員もやって
最初は友達数人で始めて、どうやったら皆が参加してもらえるか…
相談しながら、最後はクラスの全員に参加してもらい大成功!

 

この頃は、ホントに元気に過ごしていました。

 

不調の兆し 自分の気持ちに気づいてしまった

変化が出てきたのは、2学期に入ってしばらくたった頃だと思います。

 

少しずつ、保健室に行く回数が増えていきました。

 

中学の時と同じで、クラスにいること自体が辛い、しんどい。

 

友人もいるし、トラブルがあったわけではありません。

私自身も体調不良の原因がわかりませんでした。

 

1時間休んで、教室に戻ることが多かったと思います。

 

しばらく、そういう状態が続いた後
いつものように保健室に行くと
養護教諭の先生に「ちょっと話をしよう」と別室に呼ばれました。

 

会議室のような個室だったと思います。

 

ソファーに座るように促され

「何か心配事や、辛いことがある?」

 

ただ、先生のその一言で、今まで背負ってきたものが
全て溢れ出てきました。

 

「もうこれ以上頑張れない…」

 

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涙と共にでた言葉に、私自身が一番驚きました。

 

かなり長い時間、泣きながら今までのことを話した気がします。

 

何を話したのか覚えていませんが

「そんなこと思ってたんだ」

自分の口から出てくる言葉に、とても驚いた記憶だけがあります。

 

自分自身でも、そんなに重荷を背負っていたこと
限界はとうに超えていたことは、全く気付いていませんでした。

 

自分自身が、これ以上頑張ることが辛いと思っていることすら
気が付いていなかったのです。

 

「頑張っている」自覚がありませんでしたから。

 

頑張れない…

先生に全てを話したことで、肩の力が少し抜けたのを覚えています。

そして、自分の気持ちに気付いてしまったから
この日から、本当に頑張れなくなりました。

 

まず朝が起きられない

学校にも行けない

なんとか学校に来ても、教室に1日いることは不可能

 

そんな状態でした。

 

私が幸運だったのは、支えてくれる友人がいたことです。

 

保健室まで休み時間のたびに、様子を見に来てくれて
教室に誘ってくれたり
休んだ日は、家が反対方向なのにも関わらず
家に様子を見にきてくれる友人がいました。

 

学校に行けば、他にも数人が付かず離れずで
気にかけてくれていました。

 

なので教室で孤立するということはなかったんです。

これは本当にありがたいことでした。

 

 

保護者面談

それでも、高校は義務教育ではありません。

親も交えて、面談することになりました。

 

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養護教諭の先生にも立ち会ってもらい
担任、学年主任、私、父の5人で話をしました。

 

始まる前、私はどうなるのか不安で仕方ありませんでした。

 

先生に何を言われるのか、私はこれからどうなるのか
父はどう思っているのか、悪い想像しかできませんでした。

 

この頃、父とまともに話は出来なくなっていました。

学校に行けない後ろめたさから、父を拒否していたので
父に本音で話すなんてことは出来ませんでした。

 

でも、この面談で先生方が父に伝えてくれたことは

 

【これ以上、頑張らせてはいけない】

 

ということでした。

 

先生方が、私を守ってくれたのです。

 

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面談をした時は、冬休みの前
恐らく期末テストの少し前くらいだったと思います。

 

なのでテストさえ終われば
授業は短縮授業になるので半日で学校が終わります。

 

そこを乗り切れば、とりあえず冬休みに入るので
「それまで何とか頑張りましょう」と言われました。

 

でも、私が1日教室にいるのは無理な状態でした。

単位を取るのには出席日数が必要です。

そこで担任の先生が全ての教科の出席日数を調べてくれました。

  • 単位を取るには、どうしても必要な日数(ここが足りなければ留年決定)
  • 足りなければ、補講で補える日数
  • 単位が取れる日数
  • 今、出席した日数

「教科によって多少バラつきがあるので
日数を見ながら自分で調整して
なんとか進級できるようにやってみては?」と言われました。

 

2学期の中間テストまではちゃんと受けれていたので
「期末テストは、名前を書いて出すだけでも大丈夫」と言われました。

 

学年主任の先生が

 

「お父さん、お金で解決できることはお金で解決して
今はとにかく娘さんの負担を減らしてください。
娘さんが楽になることが何より優先です」

 

そうおっしゃってくれました。

 

私は、なんて恵まれているんだろうと思いました。

 

学年主任の先生なんて、個人的に話したことは1度もありませんでした。

なのに、ここまで言ってくれた。

だからこそ「学校」は私にとって居場所の一つになりました。

 

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この面談のあと、父との関係も少し改善しました。

 

父にとっても、「どうしたらいいかわからない」暗闇から
少しホッと出来たんじゃないかと思います。

 

学校に関しては、先生方が言ってくれたように
とりあえず1年は進級できることを目標に
自分で計算しながらやってみることになりました。

 

 

ギリギリで乗り切った1年

休んでいい日数がわかると、気持ちがとても楽になりました。

 

不安が1つ解消されたので
期末テストも受けることができ
2学期はなんとか終了しました。

 

恐らく全教科の先生方にも状況は伝えられていたので
私が出席していると、何も言いませんが
気にかけてくださるのがわかる先生もいました。

 

冬休みに休めたこと
休める授業がわかっていたことで
気持ちにゆとりが出来たことが良かったと思います。

 

3学期は、休みながらも登校できて
無事に1年生を終えることが出来ました。

 

 

出会いに恵まれた高校生活

私にとって、この高校での出会いは本当に幸運だったと思います。

 

・養護教諭の2人の先生が異変に気付いてくれたこと

・父と話をしてくださったこと

・私に関わってくださった先生方、誰一人として
私に「学校に来るように」とは言わずに見守ってくださったこと

・学校に行けず、1人で全てを拒否して閉じこもっていた私を
見捨てず、関わり続けてくれた友人がいたこと

 

全てのことが奇跡で
【私は守られていた】と感じます。

ここから、私の状態はどんどん酷くなっていきますが
この高校での出会いがなければ
もっと酷いことになっていたかもしれません。

 

もう高校時代に関わってくださった先生方や友人とも
連絡先もわからなくなっていますが
心から感謝しています。

 

振り返ることで、当時は見えなかったこと

どれだけ恵まれた幸せな環境にいたかということに
気付かせてもらいました。

 

このブログにたどり着いてくださった方
お付き合いくださっている方にも感謝しかありません。

ありがとうございます^^