映画『プライベート・ウォー』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 実在した女性戦場ジャーナリストをモデルとした伝記映画。地上波で以前放送されたのを録画しておいた作品だ。
 録画に付されたあらすじにざっと目を通したら、「片目に眼帯つけた伝説の女性が戦地を渡り歩いて云々……」というのがインプットされたので、胡散臭いB級娯楽アクション物を漠然とイメージ。しかし実際は戦場報道の意義を、そこに命懸けで挑むジャーナリストやカメラマンといった面々に敬意を払って描いた至極真っ当な佳作だった。と同時に本作は人間の脆さや弱さとも誠実に向き合っているところも一つの魅力だ。
 主人公のメリー・コルヴィンは30歳の1986年に初めて戦地で取材を行って以来、2012年に56歳で亡くなるその日まで、世界中のあらゆる戦争地域や紛争地帯を取材し続けたその道のエキスパート。危険を顧みないその姿勢は同業者たちからも一目置かれている。しかし本作は男勝りの彼女の颯爽とした面のみにスポットを当てていない。寧ろその辺は抑え気味。それ以上に、命の危険と絶えず隣り合わせの戦場が如何に一人の人間の心を蝕んでゆくか、そこを丹念に描いている。
 彼女も又、爆撃に巻き込まれて左目を失ったことをきっかけにPTSDを発症するのだ。
 戦場を離れても絶えず悪夢に魘され、幻聴幻覚にも苦しむ彼女。始終神経張り詰めた状態。そして解きほぐそうにも解きほぐせない緊張を、それでも解きほぐそうとするかのように、ひっきりなしに煙草を吹かし酒にも溺れてゆく。見ようによっては男やSEXに依存している印象も受ける。その日常その姿は、ある意味、既に人として壊れてしまっている。それは同じく戦場ジャーナリストとして生き、やがてその壊れっぷりがパートナーの格好のネタとして利用された感のある鴨志田穣その人の哀感とも重なる。
 兵士も報道陣も変わりなし。戦場というこの世の地獄は、いとも容易く人の心をぶっ壊してしまうのだ。
 戦地の地獄が自分を壊してしまった。それを本人も重々承知している。それでも彼女は戦地へ、紛争地帯へ思いを馳せる。何かの使命感に取り憑かれたかのように。他に自分の生き場所はないかのように。
 そして彼女は内戦状態のシリアへ入国。そこで戦闘に巻き込まれて遂に死を迎える。享年56。寧ろその歳まで生き延びたのが奇跡と思える壮絶な人生だ。
 心身ともに擦り切れて壊れてゆく。彼女の痛々しい過程をとことん描きつつ、にも関わらず、それでも戦地に赴く彼女の業を本作は否定していない。愚かさも駄目さ加減も醜さも、彼女のそういう負の面とも向き合いつつ、それでも対象への敬意が最後まで失われない。そこに観終えたあと妙な清々しさを覚えた。
 僕だけだろうか? 爆撃に巻き込まれて地に横たわる彼女の死に顔が、すべての地獄から解き放たれて御仏が宿っているように見えたのは。あるいはホセ・メンドーサと闘い切った矢吹ジョーの顔が重なったのは。
 いずれにせよこういう人たちのおかげで、僕たちは世界で起きている出来事を命の危険のない場所で知ることができる。遠いウクライナの地で、あるいはガザ地区で、今何が起きているか、同じく命懸けで追っているあまた報道関係者に、この場を通して敬意と感謝の意を評したい。と同時に、戦場ジャーナリストが報じるものが世界のどこにも何一つない、そういう世界が訪れることを願う。切に願う。
 残念ながらその需要が尽きる日が訪れることは無さそうだが。少なくとも僕が生きている間には。