一日でも長く生きてほしい。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 余命数年の宣告を医者から受けていた友人。宣告されたのは昨年暮れだ。抗癌剤と放射線療法しか既に選択肢はない。仮に薬が効いたとしても数年。効かなければ半年から一年。そう告げられたという。
 僕より一つ歳上の同世代。
 その三年前に胃を全摘出。五年の経過観察期間に入っていた。 
 術後しばらくは痩せこけて見るも痛々しかった。しかしその後は順調に回復している印象を受けた。傍目にもそれが感じられたし、術後一年、「最近調子がいいんだ」と本人が飲みの席で嬉しそうに語っていたのも思い出す。その挙げ句、恐らく最初で最後となるであろう市民マラソンに僕も参加する羽目となったのだ。
「体力も回復してきたので、試しに次の市民マラソンに参加することにした。良かったら一緒にどう?……」そう誘われて、病状回復のお祝いも兼ねると思えば断りづらかったのだ。
 一昨年の春の大会だ。
 最もフルではなく僕らが参加したのは10キロマラソン。病み上がりでいきなりフルは厳しいので手始めに10キロ走るよと彼。それならばと付き合うのを承諾したのだ。もしも42.195キロのフルマラソンだったら、躊躇なく僕も断っていた筈だ。10キロくらいなら何とかなるかと安易に誘いに乗った。それでも走った翌日、いや既に当日の時点で重度の筋肉痛。よちよち歩きしか出来なくなってしまった。その後、完全回復するのに三日くらいかかったのだから、もしもフルマラソンだったら、参加すること自体自殺行為だったろう。
 そんな体たらくな僕を置き去りに、当日は颯爽と前を走り去っていった彼。僕も一応完走はしたものの、病み上がりの彼にタイムは圧倒的差を付けられてしまった。それが若干悔しく感じたあの春が既に遠い日のことのように思われる。そう、まだ一昨年の話。それなのに彼を交えて紡がれる思い出は、今は妙に淡く遠く感じられてしまうのだ。
 まさかその後、癌が転移する形で再発するとは……。
 あれだけ元気で颯爽とした走りを見せられては俄かに予想が付かなかったが……。
 医者から余命宣告を告げられたと報告が届いた直後、忘年会を兼ねて一度彼には会っている。しかし今年に入ってからは年始の挨拶をLINEを通して一度したきり。すっかりご無沙汰だ。気に掛かっていたので先日、久しぶりにLINEを送ってみた。僕の職場に一人退職者が出て現在欠員一名状態。それを口実に、「誰かいい人いたら紹介して」と送ったのだ。
 誰かを紹介してもらうことを本気で当てにしていたわけではない。あからさまに病状をこちらから尋ねるのも慮れるので、丁度その話題をクッション代わりに利用したのだ。
 返信には、「体力が必要な今の職場は既に自分にはキツくなっている。出来れば自分が移りたいくらい。しかし病気の身では雇ってもらえないでしょうね」といった趣旨が書かれてあった。
 雇ってもらえないも何も、寧ろ彼が来てくれたなら願ったり叶ったりだ。内心どこかで、そういう展開になるのを期待していた節もある。症状は今のところ落ち着いているとも書かれてあったので尚更だ。彼は今、同業他社の配属先で働いている。考えるまでもなく、今の僕の勤務地は遥かにそこより体力は必要としない。
 病気のことは心配ない。体力を要す職場でもない。そう説明した上で、もしも本気なら本部の担当に持ちかけてみるよ……そう提案した。それに対して彼は、「三日後に診察を又受けるから、そこで医者に相談してみる」と返信を送って来た。早くしないと他の人員が配属されてしまう。一刻も早く彼を本部に紹介したかった僕としてはその三日が無性にじれったかった。しかし待つしかない。
 何かとコミュニケーションが上手く取れない面々が揃った今の職場。そこに心強い味方が来てくれる。そんな淡い期待と共に心漫ろにその三日間を過ごしたものだ。
 そして三日が経ち、改めて彼の返信が送られてきた。
 待ち侘びたその内容は……。
 病状は確実に悪化。もう治療法もない。医者から改めてそう告げられたという。
 年内持つかどうか。
「あと五年生きられる可能性があれば移籍も考えたのですが、こうなったら今の職場でぎりぎりまで働いて、その後は終活に入ることにします」
 彼からのLINEはそう告げていた。要は断りだ。病状そこまで進んでいると知ればそういう判断に成らざるを得ないだろう。残念だがこれ以上こちらが言えることは何もない。というか、残念という思いを遥かに凌駕して動揺が先立った。
 まさか彼から、僕と一つしか歳が違わない彼から、年内で終活に入るというLINEが届くとは……。
 それが俄かに信じ難かったのだ。
 日頃から不摂生な暮らしをしていた人では決してない。寧ろ健康には人一倍気を遣っていた気もする。実際その印象は小柄ながらも筋肉質でエネルギーが満ち溢れていた。そして見た目そのまま。病み上がりに10キロマラソンに自ら参加することからも窺われると思うが、胃癌になる前はトレーニングジムに通い、定期的にフルマラソンやトライアスロンに参加する人一倍アクティブな人でもあった。成る可くして病になった人では決してないのだ。
 やがて動揺が静まり、その後に胸に訪れたのは或いは虚無だったかもしれない。
 そして今は強く思い知らされている。これは決して他人事ではない。僕も今は自らの死を絶えず意識して生きねばならない。既にそういう年齢に差し掛かっているのだ。
 現在、職場の人員が一欠に伴う二週間連続出勤の最中。その中で思いは自らの終活をも据えて堂々巡りを始めている。まだ完全に仕事をリタイアするのは流石に難しい。しかし少なくとも、こういうハード勤務はそろそろ終わりにしたい。切にそう思う。生きている間にやりたいことが、まだ僕にはあるのだ。
 会えるうちに会いましょう……。
 彼のLINEには最後そう付け足されていた。
 もちろんだ。少なくとも一度は会わねばならないだろう。会うのが実際辛い気もする。しかし後悔しないために。そして自分の現在位置を確認するそのためにも。
 思えば遠くへ来たものだ。まさか自分がこんなに切ない場所へ辿り着くとは……。
 生きるとは、死ぬまで生き続けるということは、こういう切なさを繰り返し噛み締め、身を切るような痛みと共に老いてゆく。あるいはそういうことなのかも知れない。
 彼には一日も長く生きてほしい。今は心からそう願うばかりだ。