カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 | 春田蘭丸のブログ

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 『遠い山なみの光』『日の名残り』に次いで三冊目のカズオ・イシグロ体験となる本作。既に前二作で破格の力量を持つ作家であることは認識済み。
 という次第で、本作を揺らぎない信頼を置いて読み始めた。それでも、まさかここまで圧倒的な物語空間を提示されるとは思わなかった。かなり期待値を高めに読み始めたのにそのハードルが失礼なほど低かったと思わせるクオリティなのだ。
 ちなみに『遠い山なみの光』は作家の長編デビュー作。『日の名残り』が三作目。そして本作が六作目となる。
 既にデビュー作の時点で作家としてスタイルが確立されている、しかもハイレベルで確立されている印象を受けた。しかしその後二作を読んで比較する形で思い起こせば、まだデビュー作は構成が散漫、人物の掘り下げ方も浅く、世界観の構築も悪い意味で不純物が多かった気がする。一読「凄い!」と舌を巻いたデビュー作。それが同じ作家のその後に発表された作品を読むと、まだスタイルが完成途上だったと思い知らされるのだ。いかに怪物級スケールの作家を今ここに紹介しているか、それだけでも窺えるだろう。全作読んでいるわけではないので断言できないが、作を重ねるごとに恐らく不純物が取り除かれ、物語空間の透明度が増して行っている作家のような気がする。僕にはその透明度がすこぶる気持ち良い。そして本作が、今までに読んだカズオ・イシグロ作品のなかでも最も澄んだ瑞々しさを堪能できる。大傑作と以前このアメブロの場でも紹介した『日の名残り』。好みの違い程度で純粋なクオリティは甲乙つけ難い。しかし非現実的で夢のような質感を伴う本作の方が、より心地よく物語空間に浸れた。今までに読んだカズオ・イシグロ作品のなかでは『日の名残り』を更に上回り、本作を僕の一番に上げたい。
 作毎に物語を構成する要素に新たなジャンルを取り込んでゆくのもカズオ・イシグロの恐らく一つの魅力だろう。そういう意味では本作も驚かされる。何とSF要素を大胆かつ巧妙に取り込んであるのだ。僕はジャンルとしてのSFは子供の頃から好きで慣れ親しんでいる。しかしカズオ・イシグロの作品にそういうものが取り込まれるとは微塵も思っていなかったので、本作には心底驚かされた。半ば辺りまでそれと気づかず、奇妙な違和感は覚えるものの、全寮制の普通の学園生活が描かれているものとばかり思って読んでいたのだ。しかし謎が少しずつ解き明かされてゆき、やがて完全に浮かび上がることとなった真相。それはエゴイスティックかつ偽善に満ち溢れた、あまりに醜悪な真相だった。
 今は介護人という職業に就き生活を立てるキャシーという名の物静かな若い女性。その回想という形で全寮制施設ヘールシャムでの日々が紡がれてゆく。静謐で淡々としたモノローグで振り返られるその施設での日々は、級友たちとの軋轢や心理的葛藤も時に語られるけれども、基本、今は過ぎ去った季節の美しさ豊かさに満ち溢れている。どこかしら非現実的。睡眠の夢の世に実体なく浮くユートピアのようでもある。その心地よさに揺蕩っているがゆえ、途中から知れるその真相がなおさらおぞましく感じられる。
 夢の世にユートピアのように浮く全寮制施設ヘールシャム。しかしその実態は試験管ベイビー達を集めて、ある目的のために成人するまで飼育する家畜場だったのだ。
 自分たちに与えられた運命を怒るでも呪うでもなく諦念と共に受け入れてゆくヘールシャムの生徒ら。その心の薄ら寒さがいつまでも余韻として残る。美しく瑞々しく、それでいて残酷な物語だ。ヘールシャムの教師らの独善的エゴイズムを生徒らの代わりに激しく糾弾したくもなった。
 いずれにせよカズオ・イシグロは破格の作家だ。特に本作は先日亡くなったポール・オースターや九十年代以降の村上春樹にも相通じる質感がある。その辺りの作家に惹かれる人には躊躇なくカズオ・イシグロの作品も勧めたい。