まさか鷲見利恵さんのWikipediaが出来ていた。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 実際に殺人に関わったか、あるいは単に死体の遺棄を手伝ったに過ぎないか、詳細をチェックしているわけではないので、その辺の事情もよくわかっていない。それでも元俳優の逮捕の報が届いた時は驚いた。元俳優といっても、所詮は自称程度の存在だろ?……と最初高を括ったら、よくよく記事を読むと大河ドラマに出演していたあの子と知れたからだ。『軍師官兵衛』。主人公の幼少時とその息子の幼少時。二役を演じていたあの子だ。大河ドラマは『平清盛』以来ずっと観ている。当然『軍師官兵衛』も観た。話題になればその面影も思い出す。聡明で少し儚げな印象も感じさせる愛らしい子だったのは確かだ。そもそも大河ドラマの子役に抜擢されるのは実力をよほど認められないと難しいと聞く。当時は相当これ一目置かれ、将来を嘱望されていたのだろう。
 まさかそんな子が目立つ場所に刺青まで入れて、高が数年で、一体どこでどう道を踏み外したのか。大五郎の子役の悲劇が思わず重なってしまう。しかし長寿丸を演じた彼の場合、現時点で若干まだ二十歳。今後長い歳月を刑務所で過ごさせるのはあまりに忍びない。実際の殺人には関与していず、出来るだけ罪が軽くなることを願うばかりだ。
 といっても『軍師官兵衛』以外の出演作をチェックしていたわけでもない。そして『軍師官兵衛』自体、もう十年も前の作品なので、既に朧げな記憶しか残っていない。今回の事件がなければ思い出す機会もなかったろう。僕が今までに観た大河ドラマの中ではパッとしない、印象の薄い作品だったので尚更だ。
 大河ドラマの子役に抜擢後も、それでも数年は主演映画もあり仕事にも恵まれていたみたいだ。しかし高が数年、ちょっと恵まれた活動をした程度の芸能人、すぐ忘れ去ってしまうのが世間だ。僕だけではなく世間の大方が、今回の件でもなければ思い出すことも早々なかったろう。そう思えば子役の頃の儚げな彼の面影がよけい切なく揺れる。
 しかし今回の件で改めて思いを馳せたのは、ほんの数年の活動のち、忘却の彼方に葬られたあまた芸能人のことだ。別にこれは子役に限った話ではない。事務所に売り出しかけてもらっている新人の頃はテレビでもちょくちょく見かけたが、いつの間にか消え去り、今は何らかのきっかけがなければ思い出されることもない。今回の件に限った話ではなく、当たり前だがそんな存在幾らでもいる。こちらが忘れ去っているから思い出せないだけだ。
 この辺は考えてみればリアルで出会い、いつしか縁が切れた相手も同じことか。例えば一年ないしは二年、同じ教室で共に過ごしたクラスメートとて、思い出せるのは精々ほんの一握り。大方もう思い出す機会もなく、忘れ去ってしまった存在ばかりだ。卒業アルバムでも見返せば、そういえばこんな奴いたっけなぁ……と漠然と思い出せるかもしれない。しかし既に卒業アルバムも処分して久しい。つまり死ぬまで思い出す機会もない連中だ。
 それなら尚更、ブラウン管や液晶画面の向こうに短期間ちらっと見かけた程度の存在、もう思い出せないのは寧ろ当然。一体どれだけのスター予備軍の存在を僕は忘れ去ってきたのだろう。そんな感傷も思いを馳せれば俄かに湧く。
 そんな風に世間からほぼほぼ忘れ去られても、しかし今なお妙に忘れ難く心に引っかかっている存在も何人かいる。これも僕だけではない。世間の風化に抗い引っかかり続ける存在が、多かれ少なかれ、いずれの心にも人それぞれにいるものなのだろう。
 僕の場合その筆頭が鷲見利恵さんだ。
 鷲見利恵といっても、当然若い世代は知る由もない。僕と同世代でも既に忘れた、というか、そもそも端からその存在を知らない人の方が圧倒的多数だろう。八十年代の一時期、ドラマの端役やバラエティ番組のアシスタント、旅番組のレポーターで少し起用された程度。九十年代も前半くらいまでは活動していたのだろうか? 彼女も又、事務所にほんの数年売り出しかけてもらい、しかし上手く波に乗れず、いつしか消え去っていた、あまた存在の一人に過ぎない。女優志望を本人はアピールしていたが、その演技はお世辞にも上手いとは思えなかったので、まぁ実力も不足していたのだろう。
 それでも当時、多感な心に彼女の存在がピタッと貼りついた。その素朴な可愛らしさに妙に惹かれた。当時、ほんの一時期、他の誰よりも彼女のことを応援していたのは確かだ。
 テレビ東京系列の日曜朝の旅番組。そこでヨーロッパ旅行のレポーターをしている彼女が実にチャーミングだった。中学生の頃の日曜日の朝。いそいそテレビを点け、食い入るようにブラウン管の向こうの彼女に見惚れていた時間。今も甘酸っぱい気持ちが甦る。
 あれから四十年近い歳月が流れた。それでも折に触れて彼女の名前でネット検索かけてしまう。何度繰り返しても新たな情報は得られない。それを承知で、その感傷の行為をどうしても止め難いのだ。
 今どこで、一体どんな暮らしを立てているのだろう。良くも悪くも普通の人だったから、特に秀でたところのないサラリーマンと結婚。子供を二人くらい産み育て、つつましくも平凡な主婦として今を過ごしているのだろうか? そんな風に埒もなく夢想してしまう。その夢想に妙に優しい情が湧く。
 そんな感傷の、今年ちょっとした驚きがあった。いつものように『鷲見利恵』でネット検索かけて、「おっ!」と目を見張ったのだ。
 Wikipediaに鷲見利恵の項が新たに出来ていたのだ。
 まさか今更その項が出来るとは思いも寄らなかった。だって鷲見利恵だぜ。なぜ今更?……。
 いずれにせよ、いそいそ中をチェックしたのは言うまでもない。
 残念ながらというべきか、やはりそこにも彼女の近況は記されていなかった。Wikipediaが出来ても相変わらず不明のままだ。只その短い芸能活動で彼女が出演した作品はドラマバラエティ問わず詳細にデータが掲載されている。僕が彼女を知るきっかけとなった旅番組のレポーターの仕事も含めてだ。
 その内容をチェックして妙に不思議な気持ちが湧いた。一体どこの誰が今更、彼女のこんなに詳細なWikipediaを作ったのだろう?
 鷲見利恵。正直その存在を忘れず、今も思いを馳せているのはこの世に僕ひとりと高を括っていた。まさかそれが僕よりその活動に詳しく、Wikipediaの項目を作成するほど思いを馳せている存在がいたとは……。
 その存在に妙な嫉妬の念が湧く。と同時に、一体どんな人なのか知りたい気持ちもある。実際に会って、如何に鷲見利恵があの頃チャーミングで輝いていたか、語り明かしたいような親しみも湧く。少なくともこの世にもう一人、彼女のことを忘れることなく思い続けている人がいるのだ。
 今はいずこの空の下か、彼女も今年で五十九歳。来年は還暦だ。
 当時の素朴な可愛らしさを残したまま、どこかで幸せなおばあちゃんになっていてくれることを祈る。彼女のWikipediaを作成したどこぞの誰かも、きっと同じ思いだろう。
 それぞれの感傷に乾杯!