映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』 | 春田蘭丸のブログ

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 先日、勤務明けを利用して映画館で観たのが本作。2024年、今年最初に映画館で観た映画が、まさかの鬼太郎アニメだ。
 好意的な感想をインターネットで幾つも拾えたので、釣られて映画館まで足を運んだが、正直、若干の不安はあった。流石にこの歳になって鬼太郎アニメを心から楽しめるのだろうか?……と。
 嬉しくもその不安は杞憂に終わった。
 評判が良いだけのことはあり、脚本も演出も良い。登場人物の造形は流石にテレビアニメの域を出ていなかったが、それでも閉塞的な因習村のおどろおどろしさを更に醸し出す風景描写は秀逸。人間性悪説に基づいたテーマ性もしっかり感じ取れた。
 この辺あまり詳しくないので断言はし兼ねるが、恐らく貸本時代に水木しげるが発表していた墓場鬼太郎の話を基に、そこに更に骨組みを増強。ストーリーとテーマも大きく広げている印象を受けた。
 興味深かったのは横溝正史を彷彿とさせるミステリー性が大胆に取り込まれていたことだ。
 特に犬神家の一族。
 これは明らかに作り手も意図的なはずだが、横溝正史の世界観が貸本時代の鬼太郎作品の土着性と上手くマッチ。そこに鬼太郎アニメお得意の超常現象が加味されて、異界と現実の境界線で繰り広げられる物語の魅力をいや増していた。泥臭いファンタジー性も感じられる。
 展開自体はこれ、かなりえげつない。人間が本来いかに醜悪かつ破廉恥極まりないか、時に目を背けたくなる容赦ない被虐性で、とことん突きつけてくる。子供に見せるのを躊躇わせるような描写も多い。しかし逆にそれが、「人間の本質にある醜さに抗い美しくあれ!」、更には「勇気を持って義を生きよ!」というメッセージを浮き立たせていた。人間の持つ被虐性を描き切ることで、自覚的に生きねば育まれることもなく、仮に育まれても簡単に失われてしまう、人を信じて愛すことの大切さ、誰かのために生きる愛おしさ、そういう人間の善性の美しさが、より沁みる形で表現されていたのだ。
 決して後味の良い内容ではない。しかし残酷で醜悪、そして汚物と化した欲情が撒き散らされる世界で、人を思う一途さが最後まで狂おしく伝わってくる。女性客が圧倒的に多いと何度か聞いたが、さもありなん。目玉おやじがまだ目玉だけではなく、ちゃんと実体を持っていた頃の佇まい、更には妻を、友を、そして我が子を思う心意気に素直に熱い涙が滲む。目玉おやじがこんなに女心を鷲掴みにするキャラクターだったとは思わなかった。
 子供には終盤、唐突に登場する目玉おやじの存在が分かりづらかった可能性もあるが、大人の視点で見ればエンディングロールを上手く利用した最後の目玉おやじと鬼太郎誕生のオチも秀逸。水木しげるの視点や世界観をリスペクトした上で、独自のストーリーを作り上げたその手腕に感心させられた。龍賀家の幽霊族に対する情け容赦ない仕打ち、その鬼畜っぷりが、漫画的誇張に思えず、まさに今、イスラエルがガザ地区で行っているジェノサイドと重なったのも胸糞悪いが一興。
 そういう意味でも色々考えさせられる、決して子供騙しではない、しかし子供に積極的に観てもらいたい、深い良作だった。