篠島に一匹も翔んでいなかったトンボ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 これは我ながら鈍感にも程があるが、現地にいた時には全く気づかず。その数日後、かの地を訪れていた山頭火に思いを馳せていてふと気づいた。そういえば先日の篠島散策、トンボの姿を一匹も見かけなかったな……と。
 訪れたのは世で言う三連休の終わりの日に当たる十月九日。この時期に自然豊かな地を訪れれば普通、あちらこちらに煩いくらいトンボが翔んでいる筈だ。それなのに記憶する限り一匹もその姿を見かけなかったのだ。
 現地を離れて数日後、今更ながらそれに気づいた時には些か途惑った。え、嘘? もしかして篠島って離島だから、端からトンボが棲息していないとか?……
 そんな筈はないわな……と我ながら思いつつ、試しに「篠島 トンボ」で検索をかけてみると、普通に篠島の秋の散策に赤蜻蛉を見たと言うブログが幾つもヒットする。
 そう言えば今年は猛暑日が長く続いた所為でトンボの姿が激減しているというのはあちこちで聞く。今回の散策で見かけなかったのも恐らくそれが理由だろう。しかし一匹もとなると流石に、大丈夫なのか、この世界規模の気候変動は?……と怖くもなる。
 気候変動だけじゃない。
 中国とアメリカの対立関係は益々緊張の度合いが増している。その状態が一向に緩和されないまま去年の早々ロシアがウクライナへ侵略を始め、いまだ終結の見込みは立たず。ますます戦況は泥沼化している。
 そして今回のイスラエル問題。世界は今、既に第三次世界大戦が始まった様相を呈している。世界規模の戦争が又勃発したら、今度こそ人類は破滅へ向かうだろう。
 あるいは既に今は終わりの始まりなのかもしれない。割と真剣にそんなことを思う。
 もちろん地球の話ではない。
 地球はどれだけ気候変動しようが、極端な話、もしも人類が核戦争で世界中を放射能に汚染させても、そんなことビクともせず回り続けるだろう。
 終わりの始まり。当然それは人類のことだ。
 篠島にトンボの姿を見かけなかったことを、山頭火に思いを馳せていて気づいたと本文の冒頭に述べた。山頭火にはトンボを取り入れた代表句がある。その連想でふと気づいたのだ。

 つかれた脚へとんぼとまつた

 笠にとんぼをとまらせてあるく

 益体もないと言えばぐうの音も出ない。実に益体もない世界だ。しかしこの益体もなさに日夜を費し生涯を捧げる。無為なれどそれが如何に豊かな人生か。この頃の世相と照らし合わせて改めて思わざるを得ない。
 種田山頭火は明治の終わりから大正にかけて、戦前の日本が最も豊かでロマンチックだった頃を学びに費やした。彼も又、当時の学歴ある青年の多くがそうであったように、文学の魔に取り憑かれたのだ。その所為で、あるいは世間的には落ちぶれた。しかし日記を読み、その句に接してみればしみじみわかるだろう、落ちてもなお、飄々としていられるその豊かさ、その温かさを。
 これはひとえに山頭火の朴訥とした気質から来るものもあるだろう。しかし同時に世の中全体が豊かで、山頭火のように乞食に落ちた存在も受け入れる余裕が残っていた。それが一つの大きな理由としてある気がする。だからこそこの時代のある種の青年は文学の魔に取り憑かれ、いとも容易く社会性を放棄することが出来たのだ。
 山頭火が山頭火として生きられた鷹揚さ。それは今の時代のどこにもない。既に終わりの始まりに差し掛かった世界のどこにもね。
 だからこそ余計、山頭火の句のような益体もない、しかし己れの生の証を刻もうと切実な表現スタイルに惹かれるのだろう。既に失われたものへの憧憬も込みで。
 そしてこうも思う、既に人類の繁栄のピークは過ぎていて、この先は駄目になってゆく一方だろう。だけど僕が生きている間はせめて、まだ益体もないものと戯れられる、その程度の豊かさは残っていてほしい……と。
 僕も終わりゆく世界を横目に、益体もないものと戯れる無為で生産性なき人生を全うしたいのだ。
 大丈夫。この生の残りも僅か。何とか僕は愚かなまま逃げ切れるさ。