日間賀島をひとり散策していたお爺さん。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 日間賀島の散策を終えて、午後二時二十分のフェリーに乗り、再び河和港へ。そのあと凡そ十分ほどの道のりを名鉄の河和駅へ歩いている最中、連れが小声でこっそり僕に言った。
「前を歩いているお爺ちゃん、あの人、行きもわたしたちの前を歩いていた同じお爺ちゃんだよね」
 連れのその言葉にやはりそうか……と思った。朝、改札口で駅員に港への行き方を確認している老人がいた。駅員に道順を教えられると、「ありがとう」としっかりとした口調で礼を言い、改札口を出て颯爽と歩き始めたので、「あのお爺さんのあとをついてゆけばいいんじゃない?」と実に他人任せなことを言いながら後ろを実際ついて歩いた。前を歩いている老人がその時と同じ人のような気がして、僕も連れに確認しようかと思っていた矢先、連れの方から僕にそう言ってきたので、やはりそうか……となったのだ。港へ到着後も券売所のお姉さんに、次に来るフェリーの時間や乗り込む手順などを怠りなく確認している姿が印象に残っていた。七十代、あるいは八十代に既に乗っているかもしれない見た目は老人そのもの。小柄で特に逞しい印象もない。しかし随分しっかりしているな……と、その時も感心したので、目の前を歩いている老人がその時の老人と確認が取れて、やはりそうか……と重ね重ね思ったのだ。同じフェリーに乗って島へ向い、だいたい同じようなペースで島を散策すれば、帰りのフェリーも同じものになる確率は当然これ高くなる。朝に前を歩いていた老人が、午後に今度は逆方向に前を歩いているのも、勿論さほど珍しいことではない。それは承知で、ここにそれを書き綴ったのは、このお爺さんのことは忘れたくないという思いが、その時ふと胸中に滲んだからだ。老人にしては、しかも僕らと同じように島を散策して回ったあとだろうに、一向に疲れた様子もなくテンポ良く歩く目の前のお爺さん。その姿に、既に今はさほど遠くない自分の老後の理想を見た気がした。だから忘れたくないな……と。
 目の前を歩く老人の何を知っているわけでもない。しかしこういう矍鑠とした姿で、今回の日間賀島だけではなく、普段も日々アクティブにあちこち出歩いている気がする。しかも連れを必要としない精神の柔軟な自由と共に。そんな老人の日常を憶測して、そこに自分の理想の老後の日々を重ねたくなった。だから忘れたくない。ここに書き綴っておけば、二十年後、もしも自分が生きていたら、あるいは読み返す機会もあるかもしれない。その時ここに記した願いを一体どんな思いで読み返すことになるだろう……と。
 この日、朝も午後も目の前を歩いていたこの老人の姿が、二十年後の我が未来の姿であれ! そんな願いと共に後ろ姿を追った。束の間湧いたそんな憧れを、いつか思い出すよすがとして、ここに刻んでおくことにする。