車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 僕が赤目四十八滝の存在を知ったのは、もう四半世紀近く前の事。車谷長吉の長編小説で知ったのだ。
 その名も『赤目四十八瀧心中未遂』。
 車谷長吉はかなり好きな作家でその著作は殆ど読んでいる。代表作は苦節二十年目にしてようやく出版に漕ぎつけたデビュー作『鹽壺の匙』か、或いは本書か、いずれかになる筈だが、僕は本書を推す。もちろん『鹽壺の匙』も素晴らしいが、本作の方が私小説を超えた物語性が感じられて、そこに高いレベルでの大衆性が融合している印象を受ける。優れた作家が生涯に一作ものせればそれで十分。一世一代の傑作が車谷長吉にとっての本書だ。僕も今までに通して四回は読んでいる。何度読んでも、主人公を含めた登場人物の、日陰で悔しさを噛み締め泥を啜っているような心情に共感が湧く。呻き混じりの憐れ悲しい諦念が胸に沁みる。
 という次第で以前からタイトルになっている地を訪れたいと思っていた。休日を利用して日帰りで行ける距離を知れば尚更だ。
 しかし心の隅にその願望を引っ掛けつつ、なかなか機会が得られぬまま、初めて本書を読んでから二十年以上の歳月が流れていた。中途半端に距離が遠く乗り換えも面倒に感じて、毎回散策の候補に上がりつつ、今ひとつ踏ん切りがつかなかった面もある。
 そして光陰まさに矢のごとしだ。
 その地を今回ようやく訪れることが出来た。当然まず真っ先に思ったのが、あぁここが彼の物語クライマックスの地か……というものだった。著者の影を色濃く引きずる主人公が刺青もちの女に唆されて心中しようとした地。それがここなのか……と。
 その著作の描写を発端として、長年に渡り漠然と脳裏に培われてきた情景と、実際に訪れて見た光景は、正直かなりイメージが違っていた。僕が漠然とイメージしていたのは、もっと横にも広い、樹木が生い茂る広々とした市民公園のようなイメージだった。
 実際訪れれば距離的には十分散策し応えがあったものの、それは川の流れに沿った縦長の散策路。僕がイメージしていた市民公園のような横の広がりは全くなかった。長年に渡り漠然とイメージしていたものと実際に目の当たりにしたそのギャップに最初途惑いを覚えたのだ。
 それでも上流に向かって歩んでゆくにつれ、次第にあの小説のイメージと重なるようになっていった。豊かで清らかで、更には岩にぶつかり渦を巻き、絶えず流転やまないその川の流れは、耳に尽きないせせらぎも手伝い、接していると次第にトリップ感覚に捉われてくる。辺りを樹木に覆われた陰鬱さに静まりゆく心と共に、この水の流れに還ってゆけるなら、別にもういいかな……と生への執着が自然に薄れてゆき、甘美なものとして死が胸中に湧き立ってくるのだ。
 生と死の境界線が曖昧となる場所。それはあの物語の二人が、心中の地に選ぶに相応しい地に次第に思えてきた。奥に向かえば向かうほどその念が強まってゆく。
 帰宅後、とりあえず赤目四十八滝を舞台している箇所のみ摘み読んでみた。改めて読んで思ったが、それほど風景描写に力を割いているわけでなく、あくまで男女の哀しい情愛の形を前面にに表現しつつ、その流れのなかでさり気なく情景として描写が織り込まれている印象だ。タイトルにもなっているので名前だけは印象に残るが、そして確かにクライマックスの舞台でもあるが、小説全体のなかで占めるパーセンテージはごく僅か。本書では印象に残る場面や登場人物のやり取りが幾らもあるのに、そういえば赤目四十八滝を舞台にした場面はさほど印象に残っていないな……と散策しながらそんなことも思ったが、摘み読みしてそれも納得。しかし散策後はイメージがしっかり結びつくので、今までとは又違う新鮮味を感じた摘み読みとなった。さほど風景描写に力を入れていないのは確かだが、要所々々に織り込まれたそれは簡潔ながらさすが的確だ。僕など逆立てしても敵わない。現地を訪れたことで、それをまざまざと感じた。と同時に現地を訪れたことでその描写に更なる新鮮味を感じることが出来た。
 最後に本書を通して読んだのは十年以上前の気がする。赤目四十八滝の描写だけでなく、この十年を生きのばして改めて読むことで、他にも新たな発見が得られるかもしれない。
 近々通して又読み返してみたい。
 最後に一つ蛇足となるが、自分のなかで特別な存在と思っていた車谷長吉さんが、2015年に亡くなっていたのを直後に知らず、それから数年を経て、ふとしたきっかけでようやく知ったのは我ながら体たらくだった。
 え、嘘? 亡くなっていたの?……
 その情報に慌ててWikipediaをチェックしてみれば、その死因が解凍した生のイカを丸呑みしたことによる窒息死だったと知り……
 やはり相当これ変わり者だったのだろうな。
 今回の散策の地にも導いてくれた氏のご冥福を改めてお祈りします。