早速読んでみれば相変わらず竹を割ったような明晰な文章で核心に迫ってくる論旨が心地よい。美や芸術に対する独自の視点が揺らぎなく確立されているので、文章から一切の迷いが感じられないのがこの人の特徴だ。取り上げている題材も、光源氏に西行、折口信夫や南方熊楠、更には本人も長年に渡って打ち込んできた能の世界から世阿弥といった、白洲正子が得意としている面々。そしてテーマが、「男の同性愛が如何に日本の文化や芸術を豊かに育んできたか」という、これも又、白洲正子に打ってつけのもの。読んで面白くないわけがない。休日の一日を利用して一気に読了させてもらった。
しかし今回、実は一番印象深かったのは白洲正子の本文ではなく、大塚ひかりという古典エッセイストの方が書いている後書きであったのも正直なところ。この内容が、以前から僕が白洲正子に対して漠然と感じていた疑問、もっと端的に言えば欠点と感じていた面をピックアップ。そこを通して如何に白洲正子の人間性や思想が形成されていったかを見事に考察しているのだ。
成程。そういうことなのかもしれないな……と本書の大塚ひかりの後書きを読んで妙に腑に落ちたのは確かだ。
小林秀夫、青山二郎、河上徹太郎、正宗白鳥、梅原龍三郎、高橋延清、河合隼雄、多田富雄……その生前に白洲正子が交友した錚々たる男性文化人。その刺激が彼女の世界を幅広く、感性は鋭く、更には思想を深めていったのは間違いないだろう。と同時にこの後書きで大塚ひかりは、白洲正子の同性に対する眼差しの残酷さをも取り上げている。これが以前から漠然と感じていた白洲正子に対する僕の疑問と重なるところだ。ここでの大塚ひかりの言葉を借りさせてもらえば、「これほど女の性に関して残酷なことが言えるのは男だからじゃないのかと思えることを平気で書くことがあるのだ。」白洲正子は。
白洲正子の同性に対する狭量で残酷な視線。ここで大塚ひかりは紫式部の視線と重ねることで、見事に白洲正子の傷に迫っている。
(前略)この視線、どこかで感じたことがあると思ったら、話はそれるが、紫式部だ。紫式部がどれほど「男の目」をもっていたかは、『源氏物語』を読んだ男たちが「男の気持ちがなぜこれほどわかるのか」と不気味がるのを見てもわかるが、紫式部がそうした男の目をはぐくんだいきさつと白洲正子のそれは意外なほど似ている。
漢詩から外来思想を学び、抜群の才を発揮した紫式部は「口惜しう、男子にてもたらぬこそ幸なかりけれ」という父の嘆きを「つねに」聞いていた。一方、白洲も、
「『この子が男の子だったら、海軍兵学校に入れたのに』と、ふた言目には家族たちが残念がっているのを耳にして、生れ損ないみたいな気がし、しまいには本気でそう信じるようになって行った」(『白洲正子自伝』)
そして男のものだった能に四、五歳から親しみ、アメリカ留学し、骨董という男の道楽をたしなみ、評論という当時としては男の仕事に挑んだ。同性の性愛に厳しく、「女の子があんな格好して、セクハラもないもんだわ。当たり前よ」(「現代」九四年九月号『日本の伝統美を訪ねて』所収)と語る白洲の道徳観も、恋多き和泉式部や、男に伍して女が宮仕えする良さを謳った清少納言に、筆誅を加えた紫式部と響きあうものがある。
恵まれた環境に生まれ育ち、そこで自然に触れ得る文化や豊かさを屈託なく享受してきたから築かれた白洲正子の感性と文才。僕の認識は今までそういうものだった。共感ではなく、天上人に対する畏敬や憧憬を先立たせて接してきた。しかし本書の後書きで、如何に白洲正子が周囲の大人たちの心なさに幼少期から傷ついてきたか、そしてその傷が彼女の文章による表現の核を成しているか、ようやく僕も認識できた気がする。
よくよく考えれば、もしも白洲正子が単に無邪気なだけの天上人だったら、僕もこんなに夢中になりはしなかっただろう。彼女も又、心の傷を拠り所に、呻きを表現していた文筆家であった。恐らく僕も、知らず知らずそこに共感を得ていたのだろう。
あるいは僕は白洲正子の上澄みしか吸収できていないのかもしれない。本書の後書きにそんなことを思った。
時代が女性に与えた抑圧。彼女も又、その犠牲者だったという視点で、改めて白洲正子の著作を読み返せば、新たな発見を得られるかもしれない。再読の思いが昂まってきている。