状況次第ではレイシストとも美味い酒は飲めるだろう。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 前回の記事の中で、高須クリニック院長と西原理恵子では寄って立つ思想が全く違う筈だけれど……と、いぶかる向きに、善悪の彼岸で物事を眺める事が出来る西原理恵子にとって、そんな事は一向に問題にならない筈……という感想を述べたけれど、よくよく考えたら、これって別に西原理恵子に限った話ではなく、普通に日常を生きる一般人にとっても、その大概はノープロブレムだったりする話だよな。そう、少なくとも僕の日常の中では、相手が安保改正法案に賛成だろうが反対だろうが、反安倍政権だろうが安倍さん支持だろうが、憲法九条に対する解釈がどうだろうが、そんな事が現実の人間関係の中で問題になった事など一度もない筈だ。政治信条や社会問題に関する意見の違いでヒートアップするのはネット住民か政治家、或はコアな活動家くらいのもので、普通に日常を送る一般人の友人関係や職場での人間関係は、そういう処で成り立っている訳ではないのだ。
 そう言えば僕の友人にも一人、嫌韓本ばかり読んでその気になってしまったヘイトおばさんがいるけれど、それで付き合いを止めようと思った事は一度もない。まぁ確かに飲み屋でそういう話題になったり、「これ、面白いから読んでみたら」と嫌韓本のあれこれを無邪気に勧められたりした時は、ちょっと鬱陶しいなぁ……と思う事はある。しかしその程度の事は適当にあしらってうやむやにしてしまえば済むだけの話だし、そういう鬱陶しさを補ってあまりある程、その人と一緒に過ごしている時間が楽しいのなら、会話の折りに時々ぶっ込まれるレイシスト発言は苦笑まじりの相づちと共に受け流すのみ。ある人も言っていたけれど、リアルの人間関係なんて、境界線のはっきりしないほんわかとした空気感で成り立っているものだし、相手の考え方の一つが自分の良識と照らし合わせて受け入れ難いものだったとしても、そこだけに拘泥して人間関係を御破算にする必要など更々ないのだ。この辺の認識に関しては微塵も後ろめたさを感じていないし罪悪感もない。寧ろ己の信じる正義に拘泥するあまり、品性を欠いた罵倒を敵対者に向ける連中より、僕の方がよほど健全だと思っている。それは自分と考え方の似通っている連中とて同じ事。例え共感できるスローガンを掲げていたとて、そのスローガンを掲げる人間に品性や愛嬌が感じられなければ、そこに同調できる心など一切持ち合わせていない。逆に自分の良識と照らし合わせて相容れぬ思想の持ち主が相手でも、適度な距離感で美味い酒も飲める。この辺の自己認識は、この先もずっと大切にしていきたいと思う。