存在の耐えられないやりきれなさ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 最初に「存在の耐えられない透明さ」を覗いた時、そのセンスがあまりにも事件当時の酒鬼薔薇と重なる面が多く感じられたので、逆に、なりすましではないかと疑ったものだ。酒鬼薔薇のセンスを巧妙に真似て世間を挑発する、質の悪い愉快犯の仕業なのではないか……と。
 しかし残念ながら、そのサイト名からして恥ずかしい、この最悪のセンスの主は酒鬼薔薇本人と考えるのが妥当みたいだ。
 個人の表現の自由は最大限保証されるべき、それが例え犯罪者であったとしても……と僕の基本的な考えもそこに落ち着くので、酒鬼薔薇がネットを通してどれだけ自己を発信しようとも致し方ない。その内容が、幼稚な承認欲求と歪んだ自己愛にまみれたお粗末な代物に過ぎないとしても、それをとやかく言う筋合いもない。
 しかし頭ではそう理解しても、その気持ちと裏腹に、どうにもやりきれない思いは募る。そう、「絶歌」に関しては未読なので感想は述べられないけれど、少なくとも、この「存在の耐えられない透明さ」というサイトに一通り目を通した限りでは、酒鬼薔薇に表現者としての才能は殆ど感じる事は出来ない。オブジェや絵などは、見るべき処が皆無。接していても陰鬱な気分しか湧いて来ないし、事件当時の酒鬼薔薇の幼稚なセンスから何一つ進歩していないとしか思えない。寧ろ憑き物が落ちた分、醜悪なナルシシズムと自己憐憫ばかりが前面に出ていて、よけい始末が悪く思えてしまう。文章のそこかしこに内省の芽生えみたいなものは感じられるものの、無神経な言い回しや、含羞の欠片もない表現が全てを台無しにしてしまっている。もしも内省の芽生えのような箇所を掘り下げてゆけば、或いは表現者としての成長の可能性も多少は見いだせるのかも知れないけれど、恐らく彼はそれだけの誠実さも持ち合わせてはいないだろう。
 要するに生半可に文学をかじってサブカルに溺れたオタクが、己の頭の中に蠢くものをその気になって吐き出してみたら、結果、どれも皆、単なるゴミに過ぎなかった……という世界に過ぎないのだ、この「存在の耐えられない透明さ」という世界は。
 僕がやりきれないと思うのは、現在ネット上で吐いて捨てるほど存在するであろう、その手のサブカルかぶれのサイトの中に、本来なら容易に埋もれてしまうであろう稚拙な世界が、嘗て猟奇殺人を犯した少年が発信しているという話題性のみで、ここまで世間から注目を集めてしまう不条理さ故に他ならない。
 有料サイトは苦情のあまりの多さに凍結を喰らってしまったらしいが、酒鬼薔薇の資質なら、今後も、「元少年A」という絶妙のポジションで、稚拙な発信を巧みに金に変えてゆきそうな気はする。世の中そんなに甘くない? いや、世の中は甘くはないかも知れないけれど、その代わり、この世界は不合理と不条理と不公平に満ち溢れている。実際、既に酒鬼薔薇というイコンヘの幻想で繋がる、何やらコミューンめいたものも形成されているという話しも聞いた。要領よく立ち回れば、その教祖的な存在となる事も可能だろう。需要と供給で成立したコミューンがあり、そこで酒鬼薔薇を筆頭に皆が満ち足りているのなら、外野がとやかく言う筋合いのものでもない……それも承知の上で、何やら無性にやりきれない思いが募るのだ。
 ちなみに前回アップした詩は現在の酒鬼薔薇と同い年位の頃に書いた自作である。三十代前半の頃、僕も夜の僅かな時間を利用して、何やら詩作めいたものをこっそり書いていた記憶があるけれど……と思い出して確かめてみれば、何の事はない、僕も又、己の頭の中に蠢くものをその気になって吐き出してみれば、「触手うねうね絡み合う……」といった、如何にも酒鬼薔薇が使いそうな稚拙なセンスしか紡げなかった事が知れたのみであった。そう、僕も又、生半可に文学かじってサブカルに溺れたその他大勢の中の一人に過ぎなかったのだ。
 今はもう、自己表現の才能など微塵もない自分を潔く認めもしよう。しかしそれ故に、今回の酒鬼薔薇の騒動は何やら無性にやりきれないのだ。自己表現の才能など微塵もなく、実際ろくなものしか紡げなかったけれど、自分の頭の中で蠢くものを形にしたい、と繰り返して来た孤独な営為の中に流れた時間は、とてもピュアなものであったと信じていたい。ある意味そこに流れた時間、それだけは、自分にとってとても神聖な時間だったのだ。勿論それは酒鬼薔薇にとっても同様なのかも知れない。しかし結果紡がれたものが僕と似たり寄ったり、その他大勢の中に埋没して然るべき作品しか生み出せないのに、「元少年A」という肩書きを利用して世間に派手にアピールした。そして世間はそれに見事に食いついた……この下世話な構図が堪らなく切ないのだ。そう、生半可に文学かじってサブカルに溺れた無能無才は無能無才なりに、それでも長年に渡って夜に大切に育んで来た個人的な営みがある。その、かけがえのない営みと時間を、光の世界から虚仮にされ、唾を吐き掛けられたかのような悔しさと切なさを覚えてしまうのだ。
 恐らく今回の酒鬼薔薇の騒動にやりきれなさを覚えているのは僕だけではあるまい。そう、僕と同じくその他大勢に埋没しながら、それでも、「夢を夜にひらこう……」と個人的な営為を健気に繰り返して来た連中の気持ちも至く傷つけた筈だ。
 罪な話である。 
 本当に罪な話である。
 お前の存在のどこが透明なんだ? 耐え難いお前の存在に塩かけて、融かしてやりたいよ。