前回アップした秋刀魚の詩に関して。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 前回の秋刀魚の詩は、二十代後半頃に大学ノートにこっそり書き綴った自作で、その後、誰に読ませる当てもなく机の引き出しの奥深くに眠っていた内容を、若干の手直しを施してアップさせて貰いました。何処にも行き場がなく闇の中で燻っていた若き日の情念を、これでまた一つ、ようやく成仏させる事が出来たような気分だ。
 十数年ぶりに読み返してみて思ったのは、これ、佐藤春夫の『秋刀魚の歌』に些か影響を受けているな……って事。「さんま苦いか塩つぱいか…」のフレーズが有名な例の抒情詩ね。勿論あの格調高い古典詩の足下にも及ばぬ素人芸に過ぎないのは承知している。しかし当時の大学ノートを久しぶりに読み返してみて我ながら思った、この頃って、割りと真剣に詩に取り組もうとしていたのだな……と。
 思い返せば二十代後半のこの頃が、日本の現代詩を中心に、古今東西の詩のあれこれに接する機会が一番多かった気がする。それで感化されて、「それじゃ、モノは試しに…」と実作にチャレンジしていたような気がするのだ。
 当時はいい加減くたびれて、感受性も好奇心もすっかりすり減ってしまったような感慨と共に生きていたような気がするが、そう考えると今よりも遥かに感受性も好奇心もまだ維持されていたのだと思う。
 内容に関しては殊更に言及する程のものでもないけれど、改めて読み返せば、仕事が上手くゆかず、職を転々としていた頃の鬱屈が濃密に思い出される。この詩を書いたのも、ちょうど無職の時期で、早く仕事を見つけなきゃ……という焦燥と、でも本当はもう社会になんか出たくはない……という逃避願望とのせめぎあいの中で、途方に暮れる日々を過ごしていたのを思い出す。恐らくこの頃からだと思う、僕が何か自己表現をしようとすると、やたら自虐的であったり劣等感に苛まれていたり、そういうネガティブな方向に走りがちな傾向が強く表れるようになったのは。それは今回アップした秋刀魚の詩に限らず、同じ大学ノートに記録された他の習作に関しても、かなり陰鬱の度合いが濃い。今現在にまで続く、僕のアイデンティティが揺るぎなく固まったのが、要するに、社会から落ちこぼれてしまった……という惨めさと疎外感を抱えて焦っていたこの時期だったのだと思う。
 この秋の夕餉に秋刀魚を食べていて、ふと思い出して、机の引き出し奥深くから引っ張り出して来た大学ノート。読み返してみれば、その秋刀魚の詩のみにあらず、どれも皆、気恥ずかしくも懐かしい。いい案配で歳月に風化して、過去との距離を置いて読み返す事が出来るのだ。
 そういう次第で、そろそろ頃合いかとも思う。せっかくこうして、自分にとっての宗教的な場を手に入れることが出来た今、その大学ノートに記録されている他の習作に関しても、少しづつここにアップして、一つ、また一つ、成仏させてゆけたらと思う。
 二十代後半の、その大学ノートに限らず、他の時期に利用していた大学ノートに納まっている、あれやこれやの思いも、これも又、少しづつね。
 結構これ、自分の個人的なライフワークになりそうな気もするな。