歌.338 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 庭先に紫陽花を植えている家って結構よく見かけて、この時期になるとその事によく気づく。
 基本的には初夏の陽射しに照り映える渇いた風情の色鮮やかな花が好きなのだけれど、濡れた風情が似合う重厚な色合いの花も、これはこれでよいものだ……
 と、ようやく花に目を向ける気持ちのゆとりも生まれつつある今の自分を少し嬉しく思う。でも僕が本当に還りたい紫陽花はこの紫陽花でもなければ、あの紫陽花でもない……という一抹の感傷混じりの思いを一首。

紫陽花を至るところで見かけれど僕が還りたいのは母なる花のみ。

 子供の頃に住んでいた家の庭にも紫陽花が植わっていた。雨蛙やらカタツムリやらナメクジやら、渇いた場所では生きられない連中の豊かなシェルターのような場所として、僕はその紫陽花を記憶している。学校から帰った後の僕の遊び場は、いつもその庭であり、紫陽花の前でいつまでも過ごしていた時期があった。あちこちを蚊に喰われながらも、まったく苦にもせずにね。
 あの紫陽花を住み処としている生き物たちと交流しているのが、あの頃の僕にとって一番濃密な時間だったのだと思う。濡れながらしか生きられない卑小な存在を受け入れて、慎ましくも奥深い色合いで咲く紫陽花は、いま思うと確かに母性の佇まいを感じさせたのだ。だから当時の僕は紫陽花と戯れるあの時間帯に心癒されるものを感じていたのだろう。
 この時期あちらこちらで紫陽花は咲いているけれど、あの庭で覚えた安らぎに導いてくれる母なる紫陽花は、もう、どこにも咲いていない。そう、あの母なる紫陽花には、もう二度と還ってゆく事は出来ないのだ、自分の心象風景の中へと還ってゆく方法を除いてはね。

 ……紫陽花の前で無心に雨蛙と語り合いながら一人遊びに打ち高じる、そんな僕の背後から、「ごはんができたよ」って呼ぶお母さんの声が聞こえる。
https://youtu.be/62GqGZuaV7o
 そう、そして僕にも夜は訪れる。救済の夜は、きっと訪れる。